V.S.

ポエマー長文地下室バンギャル

常夜灯








わたしが自分の人生をcali≠gariというバンド、主にギターの桜井青にありったけの金と時間とそして感情を(健全に)注ぎ続けていた頃にライブ会場で出会った友達が、「みんなの発狂」の狂信盤を貸してくれた。「サクライストののいさんに是非聴いてほしい」とのことで、わたしがあのバンドに怨み辛みを溢しているのを知っていても尚そう言ってくれるのは本当にありがたいことだなと思う。お返しに青さんのソロ関連のCDをいくつか半強制的に借りさせたのだけど、どれも評判が良くて嬉しかったし、「これは本当に…青さん好きになるよね…」ってしみじみ言われたのが共感しまくりで半ば誇らしくもあって、未だにそう思ってて、「尊いという言葉は桜井青のためにしか存在し得ないのだ……(安らかな死に顔)」みたいな感じになってた。

ただ本八幡発狂の初日以降ワンマンに行っていないわたしはみんなの発狂を聴いたことが無かったし、せっかく貸してくれたのに再生ボタンを押す気にもなれなくて、借りたのが最早いつだったかさえ思い出せない今日になって初めて聴いた。

ド変態なベースの音が懐かしいなと思った。叫び声の途中でぶつり切れる終わり方は慣れていても少しゾッとして流石だなと思った。ひねくれた玄人のやり方で、やっぱりこのバンドは大概頭おかしいなと感心した。
聴かなくなってから、追いかけなくなってから、目を逸らしてから大体どれくらい経つのかさえもう考えることはめんどうくさい。だけど、まあ、変わらないんだろうね。あの頃と。一つだけ除いて。
ドラムがどうしても気に入らなかった。ペタペタ言ってるドラム。音楽理論とか楽器とか詳しくなくても感覚的にもう引っ掛かってしまうドラムの音。
むしろ自分にドラムの音に違和感を感じるような耳があったことに驚いたよね。あれもこれも全部cali≠gariの所為だろう。ずっとボーカルだけ好きで、ボーカルだけを見ていて、それこそポルノをめちゃくちゃ聴いてたときだってひたすら昭仁の音だけを聴いていたのに、いざ蓋を開けてみたら好きになったのはギタリストだった。作曲も作詞もあまつさえデザインすら卓越した、尊い以外の語彙が死滅するようなギタリストだった。自分の出来るところギリギリまで追いかけて、ライブがあれば毎度毎度上手に陣取り同じ景色を作り、自分でも分かるほど目をキラキラさせながら数年間追い続けたギタリストとそのバンドの作る音楽の、ボーカル以外の部分を聴かないなんてそんなおばかさんの極みみたいなこと出来るわけがなかった。アホだったからそこで初めてバンドの音楽には歌だけじゃなくてギターがありベースがありドラムがありその他もろもろがあり、いろんな工夫といろんなメロディーがあり、それが組み合わされて重なって出来ていることを知った。
面白かった。面白いなと思った。バンドって楽しいんだなって。その人たちにしか出せない音が、きっと存在しているんだなって。
WALKMANをシャッフルしていると、たまに入れただけでろくに聴いてもいない音源が流れることがある。不思議なことに、聞き慣れているとどのバンドの曲だか分かるようになるんだ。「このギターの重さの感じ、もしかしてナイトメアかな」とか思って画面を確認するとほんとにナイトメアの曲だったりする。そういうのわたしでも分かるようになるんだな!ってすごく驚いたし、やっぱ、面白かった。

例えばヴィジュアル系の名曲をカバーしたオムニバスなんかでも、若手がたくさんいる中にぽんと活動15周年を迎えたバンドが入ってたりして、言わずもがなMERRYだけど、イントロが流れるとそれだけでもう「おっ!」て思うのだ。このバンド格好良いなって。上手いなって。キャリアの分だけ修練されたものがあって、そういうのを聴いていると、多分だけど時間を積み重ねてきた音は嘘をつかないんだろうなと。


この間MERRYとsukekiyoとメトロノームの3マンを名古屋で見てきた。sukekiyoは京さんが相変わらずだったし、楽器構成が複雑且つきちんと把握してないので失礼ながらお名前を存じ上げないのだが、メンバーの1人がすごくニコニコしながら弾いていたことに驚いた。京さんがああなのにステージで楽しそうに笑うのは「アリ」なのだなあ、と、やっぱりバンドって自由で最高だなって思った。MERRYも勿論楽しかったけど、ガラが気合い入りすぎてて笑った。あと途中退場梟見逃しマンになって泣き濡れて帰ったりもした。わたしの大好きな…梟…
だけど一番の収穫はメトロノームだったりする。すごく楽しかった。誰に聞いても「メトロノームは楽しい」と言う。それはcali≠gariが好きな人、ムックが好きな人、lynch.が好きな人、DIRが好きな人、ノクブラが好きな人、本格的に通っているバンドがどこであってもみんながみんな楽しいと言う。その通り、めちゃくちゃ楽しかった。楽曲をあまり知らなくてもノリは良いしフリも複雑じゃないしMCで笑える。楽しいは正義だ。もう一回見たい。

そして案の定考える。再起動をしたバンドと、ファンがそれを再び見れることの、どうにも言えない幸せと悲しみ。
どんな事情で活動を止めたのかは分からないけれど、人間だから、どうしてもうまくいかないことがあって、だけど時間が経ってまた一緒に音を出すことの貴重さ。メンバーは楽しいかなあ、楽しんでくれるかなあ、わたしたちが見ることを、喜んでくれるだろうか。
一度止まったものが二度止まるのは多分何ら不自然なことではなくて、また再び身を裂かれるような思いをするとしても、それでも行かずにはいられないような、泣きたい気持ちと嬉しい気持ちがごちゃまぜになった言い得ないあの感情を持ちながら今ここでメトロノームを見ている人がいるかも知れない。
わたしはどうだったかな。活動休止前のことは知らないけれど、それでも休止前の活動があって作品が好きだったから再起動後に通い出して、そこでたくさんのものをもらって、自分を少しだけ許すことが出来て、そして、今は。
メトロノームを見ながらそんなことを考えた。
だからもう一度見たいと思っているけれど、同じことを繰り返すのではないかなんて思って、少し怖がってもいる。


「許す」という言葉の、上から目線さを考える。
許すという言葉には許可の意味合いが強くて、上が下に許可する、というニュアンスが大きい。下から上へ要請があって、とか。きっとどうしてもそこに上下関係が生じる。だけどわたしがずっと言ってきたのは、ただただ「ちょっと待ってよ」の気持ちだということをもう一度言いたい。ちょっと待ってよ、そんなの飲み込めないよ、腑に落ちない、みとめたくない、お願い待って。そういう、もうどうしようもない感情が強くなりすぎて、「許す/許さない」になってしまうのだ。気持ちの強度の問題だった。

メトロノームの曲で、客席のファンがその場でぐるっと回るフリがある。わたしの前にいた2人のファンがそれをやってたのだけど、2人とも、すごく笑顔だったのね。本当に楽しそうだった。良いなあと思った。勿論ステージ上のバンドのパフォーマンスが目当てではあるけれど、そうそうこれこれ!これが見たくてライブ来てんだよ~良いもん見せてくれてありがとう~~!!って、名前も知らないファンにお礼が言いたくなった。勿論メトにも。
バンドだけではライブって成り立たなくて、楽しんでいるファンがいるからあの空気感が生まれるのだ。それが見たくて聞きたくて感じたくてわたしはライブに行く。だから、よっぽど知らないバンドじゃない限りは熱中しているファンの空気を体感したくて前の方で見るようにしている。あれは本当にそのバンドを好きな人しか出せない空気なのだ。

溢してきた怨み辛みは、冷や水でしかない。
泣きながら書いたただの愚痴に、心の底から共感してくれた人がいて、或いはまるっと肯定は出来なくとも納得をしてくれる人もいて、わたしは幾分か安心したのだけれど、結局全ては打ち水なのだ。今のあのバンドにとっては熱を邪魔する存在でしかないことは、もう随分前に分かっていて、だけど、やっぱり「だけど」が出て来てしまうのがまた申し訳ないけれど、だけど、黙ることは出来なかった。
今だから言えることかも知れない。黙ることで忘れ去られるのが嫌だった。楽しいと言われる度に、「楽しさ」に救われてきた人間として、否定されているような気持ちになって辛かった。3人になって、アーティスト写真のメンバーの距離が近くなったことが苦痛だった。それぞれのファンの呼び方が変わったことに腹を立てていた。何のアピール、何のための刷新。もうわたしは要らないのね。亡き者なのね。そうですか、上手くやれてて良かったですね!あんなやり方で、切り捨てておきながら。楽しそうで、何よりですね…
そりゃあ時間が経てばどうやったって変化は起きる。変わりたくなくても嫌でも変わる。変わらずして存続は有り得ないから。だけど忘れてほしくなかった。否定してほしくなかった。大事にしてほしかった。大切なものを大切だと分かってほしかった。認めてほしかった。無かったことになんてしないでほしかった。
大好きだったあのバンドを、メンバーにも、大好きであってほしかった。
何があったかなんて知る由もない。だけどせめて、表面上だけだったとしても、綺麗な思い出を綺麗なままに保存させてほしかった。許せなかった。どうしても、どうやっても。それは、今も。

正直なところを言えば、多分わたしの熱量は尽きる段階に来ていて、遅かれ早かれ行かなくなったような気もする。あの時間やお金や感情の掛け方はきっとほんとに人生の一時期にしか出来ないものだっただろうと今は思う。正規雇用でなかったこともあって、なんとかしなきゃいけないと思い続けていたし、自分でも限られた時間が終わりに迫っているなと感じていたところに脱退が起きてしまった。選びたくない言葉だが、言いたくないことなのだが、恐らく、タイミングが合致してしまっていたのだろう。悲しいことに。悔しいことに。

それに(わたしが桜井青に大きすぎる幻想を抱いているのもあるが)、推し量るのも烏滸がましいところではあるが恐らくメンバー側もそんなこと承知の上だったと思う。脱退が何をもたらすか。温情として、「許せない」ーーつまり「ちょっと待ってよ」という気持ちの強いのがあることは、多分、向こうだって分かっている、はず、なのだ。はずだ。そうであってくれないと困る。

だってそうでなきゃ、あまりにも振り落とされたいくらかのファンが、浮かばれなさすぎるでしょう?


わたしはcali≠gariを、今のあのバンドを、今のcali≠gariを、許したいと思った。


みんなの発狂を今日になって初めて聴いたのはそういう理由だ。例え許した先が真っ白な忘却であっても、それでも構わない。冷や水を掛け続けるよりはきっとましなのだ。亡き者はきちんと葬られるべきだと自覚している。きちんと葬ってくんなかったから、自分で墓穴を掘ってそこに眠りにいくしかないわけだ。ま、ドラムの音は納得出来ないけど。残念ながら今のままでいる限り永遠に納得出来ないと思うけどね。ははは。逆にバランス悪く聞こえるのが笑える。はは。
だけど変態っぷりは健在で良かったよ。本質は変わらずに頭がおかしい。それはほんとに強みだし、何よりの魅力だと思っている。
神が人になっても、コレクター気質が膝を折っても、音源は買うよ。買って聴くだけで「ありがとう」なんでしょう?楽しみには出来ないし、ライブも行きたいとは思えてないけど、期待だけはしている。

書きたくても書けなくて、書けなくても書きたくて、書きたくなくても書いてきて、毎回毎回これが最後だって思って、何度も何度ももうやめるって言いながらやめられなかったけど、初めて「許したい」と言えたのはやっぱりメトのおかげだったりする。ありがとうメトロノーム
許せると思ったら、許せたかもと思えたら、また宛もなく書こうと思う。


ライブに行くことも音楽を聴くこともやっぱり最高に好きだから。
本命と唯一言えたバンドが千切られて消えても、それを諦めるのはやめようと思った。








      

愚鈍の桜







意味はよく分かりませんがTHE・ヴィジュアル系って感じでとても素敵です
中身はいつものあれ

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此処から飛べ 怖くは無いさ








わたしにとっての好きの中の2種類

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♪:脈拍







精神的に参らないことだけが目標、暗い気持ちに支配されないことだけが目的だから、楽しいは二の次三の次、ただ「しんどくない」それだけが唯一絶対の仕事に求める条件(いや勿論給与とかその額面も不可欠だけども)。まあ何だろうな、言ってもやっぱしんどいし時々ほんとに気が滅入るんだけど、それで朝起きて死にたくなるほどではないしむしろそういう気持ちになる前に行動するという防御をしている(それが出来ている)。だけどふと考えるよね、7時に家を出て21時過ぎに家に着くこの生活の行く先。他に何があるかなあって。ライブも行けないし家に帰ったらご飯食べて寝るだけの生活。これ意味あんのかなって。楽しきゃまだいいのかも知れないけど別に楽しくもない仕事で1日の半分。睡眠時間を6時間と見積もってもあと6時間しか自由が効かなくて、それでどうすんの?って、そりゃー思わざるを得ないよね。フリーターのときはさあ、こんな楽してて良いのかなちゃんと仕事してますって言いたいなと思ってたけれどいざ「職に就いています」って言える状態になったところでじゃあそれ以外の部分のわたしに何があるのかってことが言えなくなってきてしまっている、それがすごく馬鹿馬鹿しく感じる。虚しいとか切ないとかじゃない。なーにしとんじゃろわたし、って呆けてしまう。こんなにもたくさんの時間を楽しくもないことに費やして。仕事に楽しさは全く求めていないから憤りみたいなものはないけどあー馬鹿馬鹿しいなーって口開けたくなるこの気持ち。それでも生活をしていかなくてはいけないから働くけれど、そこ自体に目標や目的が無い人間が働いたところで何が生まれるのか分からない。いや何も生まれませんよ。のんべんだらりと生きていきたいなあ。しんどいことを排除して精神的に楽して生きたい。それだけ。それだけだよ。精神的に楽をする。サボるとかじゃない。怠惰になるわけじゃない。ただもう二度と追い詰められたくないんだよ、身を捻り切られるような不安を感じたくない、だから頑張ろうとも思えない。頑張ろうという意欲の代償は疲労、決意の代償は自己嫌悪と恥。恥をかきたくないんだね。恥の多い人生だからもう。あー、結果に期待してないんだ。全然ポジティブに考えられてないんだ。視野縮こまってきてるし、視線は後ろ向き、口角は下向きだ。あー疲れた。あーモニョる。言いたいことがめちゃくちゃあるのは絶対お互い様な筈なのに、マスクの下で舌を出して終わり。言いたいことを言えばそれだけ反駁。違うじゃん、そういうことじゃないじゃん、を延々。水掛。もー無理だ。人を嫌うのはエネルギーが要るから極力やりたくないけどどっかにあー違うな、って合わないパズルがある。言霊を闇雲に信じているので積極的に言いたくもないけど、気に食わない。気に食わないんだよなあ。上から目線だなあとは思ってる。謙虚になる余裕もない、謙虚どころか見る余裕もない。五感死にかけながら動いてるんだから、謙虚なんて高次なこと出来ない。

いろんな気持ちを込めて、内向き外向きの愚痴フヘイフマンフアン、言えないことも言いたくないことも吐き捨てたいことも投げつけたいことも詳細を全部引くるめてわたしは「ライブに行きたい」って言うことがあるけど、まあそうやって変換出来る願望の明るい動詞を持ってることはきっとそこそこ恵まれているんだろう。26日当日券出してくれたら良いな、ただ行って楽しめるかは別だけど。別だけど、あの熱轟音呼吸空間暗転、地の底から天まで駆け上っていくような興奮と何にも換えがたい高揚感、それがあれば多分まだやれる、まだ頑張れる、と思えるかも知れない。そこにしか頼るところがない。生身の人間を信用出来ないわたしは。死にたいと口に出せなくなったのはいつからだったっけ。何とか呼吸をし続けるためだけに半径10cmのありとあらゆることに手を伸ばす。その中にはもう死という選択肢は無いのだ。ただその10cmを飛び越えた先には常にある。いざとなれば終われば良いと。それはもう本能に近いようなものなんだろう。
こういうくだらないことを書き連ねて時間を浪費する夜にさえ我ながら呆けてしまう。もうちょっとましなこと書けねーのかよ。面白いものが見たい。心揺さぶるようなものが見たい。わたしもそこへ、その場所へ行きたい、と思えるもの。だから過去にすがりつくんだ。帰れたらいいのにな、何よりも好きなものを好きだと言えていた頃に。今のわたしを見たらあの頃のわたしはきっと哀れむだろう。哀れむだろう、笑いもせずに。馬鹿馬鹿しいなあ、浅い意識で生きていくこと。無くなっても困らないものがずっとそこにあること。いつの間にか何もかもが終わっていくこと。意義の無さそうな人生。半径10cmの信号さえ不要な世界。







        

眉間の皮がむけます






漠然と悲しい気持ち

口を開けば愚痴で他人と距離が開いた気がするし気力不足で行けた筈のライブも行けないし洒落にならないミスはするし2日後には特大クソイベ(仕事)が待ってる
は~~~~~

良かったことは迷惑をかけたので謝罪謝罪謝罪…と絶望的な気持ちで出勤した日に上司にチョコレートをもらったこと。そう!そういう良いことが起こってほしい!予想外なこと!めっちゃ嬉しかった!
テストの成績が良かったからおめでとうということでもろたんだけどまじあの、良い成績取ってご褒美貰うというか祝ってもらうのってほんと新鮮すぎました…大して出来る方でもなかったけど親が教員なせいで勉強してたら点数取れて当たり前だよね(してなかったら取れるわけないよね)っていう認識だったので良い成績取って誉められたり祝われたりが新鮮で新鮮でもう…すげー頑張って良い点数取ったときに親に「当然でしょ」って言われたの未だに根に持ってるからな!!だからわいは頑張るのやめたんや!!(天晴れ責任転嫁)
今美味しく頂いております。高いチョコレートに合う舌ベロをしてないのだけど美味いやつめっちゃ美味い。上司ありがとう正直シャ●チョさんからもろたもんより嬉しいチョコレートぺろぺろ

ライブは支払いに行く気力すらわかずにチケット予約してたにも関わらず流れました。うける~~
なんかもうほんとにバンギャル上がるかも知れないなと最近思う。上がりたいとか一度も思ったことないし末永くライブ行きたいと思ってたけど全然行けねえ。仕事に何もかも奪われ過ぎやろ
ところで3マンめっちゃテンション上がらない?メンツ想像ついて悲しくなるけどめっちゃテンション上がらない?HEREと四星球めっちゃ見たいんだけどあのタイトルにそれ期待するのは愚かすぎるよね?
気力気力何をするにも気力が足りない。休みの日気付いたら15時まで寝たり起きたりしてそこからちょっと起きて夜いつも通り寝る。そんなんでライブ行けますか!せめて近場に来て!行けるときに近場に来てお願い
傘と雨も初回Bと通常買ったけどゾンビ地獄ディスコ切なかった。笑っちゃうくらい好みじゃないwwwwいやいいんだ、好みじゃないなあという感想のために1300円払ってる。そこに後悔など無いぞ。ハッピーライフ(最早アルファベットすら使えない)のアコースティックハイパー良かったしな!
はーでも傘と雨の歌詞もまた切ない違う意味で。音も声もMERRYは最高で満足できるけどやっぱ歌詞だけは桜井青じゃないと…桜井青御大じゃないと…cali≠gariについて喋れることはもうほとんど底をついたけれど桜井青に関しては本当に「やべー好きすげー好き神ってる」くらいのことしか言ってこんかったからまだ喋り扶持があるぞ。喋れんけど。今も神ってるくらいしか言えんと思うけど。最近やっと聴きたいと思って聴けるようになってきたんだけどやっぱり桜井青ってすごい。尊すぎるあの言語感覚
3マンcali≠gari来たらわたしまた喚くんだろうな~~~~想像だにうっざ~~ってなるな~~~!なるべく黙りますよ。まあ既に新宿は行けないの確定してるしね。ああラムフェスがあと3年早ければ、なんつって。

一大クソイベが終わったら休みの日に1日何の不安もなくダラダラゴロゴロしたい。それすら出来ない現状!今日だって休日出勤すべきかと職場の近くまで行ったものの「あ、無理だわ行きたくない」ってスーパー寄って帰ってきたもんね。はー甘酒うめー
出勤日に出勤するだけ偉いよ世の社会人マジ偉大すぎるよ、わいは自分のプライベートに土足で踏み込まれるのが死ぬほど嫌いなので仕事に休日侵食されるくらいなら転職活動したいです。いやしなくていいんだけど。休日出勤するなって言われる会社なんだけど。まあそうもいかないこともあるじゃない?現に3マン新宿行けない理由は自分の休日使って行けって言われた研修だよ殴るぞいや自由参加だけどそこに有給という選択肢を用意しないからわたしがグレるんだよ~

最後のライブが11月、時間があきすぎてもうライブ行きたいとさえ思えなくなってきた今日日皆様どうお過ごしでしょうか。わしは件のネックレスのコレクションが月毎に増えていきそうで戦々恐々としています。それでも月1ライブ行くより安く済むとか世の中ってほんと世知辛い。今日スーパー行ったらお金足りなくてカードで払う羽目になって世の中ってほんと便利だけど世知辛い。今世紀最大のラッキーがわたしに降り注ぎますように…3月からの職務変更に伴うわたしの腰の健康への不安が現実になりませんように…藤原竜也で画像検索してふほほかっこいいなあとか深夜にまりもっこり顔する喪女に明るい未来が待っていますように…南無







      

わたしはライブが好きだ








「最前列はいつも同じ景色」




あるある~~~!!!!

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親愛なる






SEX-ANDROIDがまさか無期限活動休止だとは

わたしがアルバムを集める数少ないバンドのひとつだったのに。ツイッターで検索すると「ずっとあるものだと思っていた」という文言がそこかしこに並んでいて未だに活動休止を信じられない(というかなんかなんとなく信じていない)し、事務所との契約終了ってところが妙に気になって仕方がない。
歳を取るということは、並走していたはずのものがいつの間にか脱落していくことなのだと思う。
脱落という言葉は不適切かもしれないけれどそれ以外に上手く言い当てられる言葉を探し当てることが出来ないな、今は。
今日ぼんやりと眺めていたテレビで黒柳徹子さんが「いい恋をすればそれで一生涯やっていける」というニュアンスのことを仰っていてすごく共感した。わたしにとってはそれは生身の人間ではなかったけれど、多分あれだけでこの人生の恋という面は上々の出来だったと思う。
そういう気持ちを抱かせるようなバンドだったはずだ、セクアンも。ヴィジュアルロックが好きと言いながら深く潜っていけるようなバンドは多くはなくて、もう打ち止めなんだろうなと思っていた頃に聴いた「嫌ってよ、モナムール」の衝撃。ああここまでドストライクな曲を作るバンドがまだまだあったんだなあと嬉しさと一緒に自分の浅さを恥じるような気持ちになった。懐かしい、そして常だったもの。
まだ半年ある間にたくさんの人がセクアンの曲に触れますように。聴け。そして惜しめ。全力で惜しめ。たくさん良い曲がある。もっと早く聴いていれば良かったと惜しんで、復活を願いながら活動休止を見届けて、そしていつかまた帰ってきたいとバンド側が思ってくれたそのときに、待っている人間がたくさんたくさん増えればいい。

良いバンドが少しずつ少しずつ消えていく。歩みを止めてしまう。楽しいことと明るいことと易しいことだけを歌う音楽なんて要らない。もっと怨んでほしい。後ろを向いて閉じ籠って自らを傷つけて、そうしてやっと灯るほんの少しの灯りだけを信じた音楽が、またひとつふっと消えて暗くなる。思えば好きなバンドが活動を休止することに直面するのはこれが初めてだ。信じられない信じていない気持ちの方が大きいので、悲しいとはまだ思えないけれど。




今日の1曲はSEX-ANDROIDで「バースデー」。

好みの曲とか思い入れのある曲は他にもたくさんあるけれど、どうしてかこの曲がずっと誰かに残ってほしい。






      

♪:首吊りロンド






こんばんは久しぶりです書きたいことはたくさんあるけどスマホ+寒さで書く気が減り続けていてかなしい。
仕事は常にしんどいけど毎月の研修が全て終わってテストも何とか100点取り続けて金券的なものをもろて将来への基盤というか第一歩目の評価の確保とまだ消えきらない浅ましい名誉欲とをギリギリ達成して一息ついている今MERRYのNOnsenSe MARkeTファイナル見てるんだけどやっぱライブ行きたさがすごい~~~
出世欲はあんま無いんですけど名誉欲はあるんだよね…南無…ほらやっぱり実績の伴わないプライドが捨てきれなくて…癇癪持ちだし…仕事しんどいしんどい言ってるのも不幸自慢の一種なんでしょうね。いやほんとにしんどいけど!!でもちゃんと話もしてないような(※というか話をする機会が著しく少ない)実態の分かんない同期と比べてるなんてそれこそ不幸自慢に他ならないからね。自分だけがこんなに大変なんですアピールだからね。きついわ!視野を広く視線をフラットに、そこだけが自分の居場所だと思わないこと。長く続けていくためには適当にやるのが一番だし、追い詰められるのは(自分で自分を追い詰めるのは)大学時代でお腹いっぱいなのでいかに自分を楽にするかに重点を置いて手段を手段として果たしていく所存です。
で、ぼくは本当にライブに行きたいんだよ。
あ~~~ライブ~~~ライブに行きたいんだ~~~~~
何度も言ってて申し訳無いけどほんと去年の末からあんまりにもあんまりなことが多過ぎて!確かにちょこちょこ友達に会ったり買い物したりしてなんとか凌いでたんだけど、なんつーかやっぱりライブ行きたい。友達と遊ぶのは楽しいけど、そこには興奮といえるほどのものはさすがになくて、わたしが味わいたい厭なことを全部吹き飛ばすような興奮は今のところライブにしかないんや…
22日の池袋のインストも日程的には行けたんだけど体調を整えるのを優先してしまったからな…
11月からもう2ヶ月ライブ行ってないからもうライブなら誰のでもいいです状態なんだけどやっぱりMERRY行きたいよな~~~上司休みくれ~~~!!!!これしか言ってねえ~~!もう早くネロ見たいネロ、ところでお正月にネロが挨拶がてらアップしてたインスタの画像ハイパー格好良くなかった?あまりの好みさに気付いたらロック画面でした!!たまにじっくり見てじっくり「…かっこい…」って心をホカホカさせています!!格好良い!!恋!!!好み分かりやすい!!!
うーんほんとに仕事しんどいとライブ行きたいしか言うことないよお。でも無事研修終わって良かった良かった。
というわけで寝ます。毎日食事だけが楽しみになっている。





      

名前がつかないだけ







お久しぶりです、と毎回書くことになりそうな今年…いい加減ネット繋げたいけど困りもしないんだよなあ…

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コンデンスミルクスプーン1杯








雨宮まみさんのエッセイを読んでいた。いつぞやツイッターで著しい作り笑顔をする大学の同期が雨宮まみさんの連載を紹介していて、読んでうっかり涙ぐんでから密かに好きだった書き手さんである。
書くことは好きなくせに読むことはあまりしないので、読んで震えるような文章に出会ったことは少なく、良いなと思える書き手に出会うこともあまりない。唯一鳥肌が立った文章が安部公房の『空飛ぶ男』で、数少ない好きな言葉を書く人が他ならぬ桜井青であり、そして雨宮まみさんだった。それでも量を読んでいるわけではない。好きなものを繰り返し繰り返し読む。

2016年は大変な年だった。就職も異動も家出も人から好きだと言われたのも出来れば行きたくなかった場所も全部激動だった。
1年のはじまりの元日の今日、雨宮まみさんの文章を読みながらぼんやりと考える。

未だに身に着けてはいないけれど、去年、京都でANNA SUIのバタフライのネックレスを買った。価格としてはあまり高くない15000円くらいのもの。まず15000円が高くないと言えるようになったことがもう大きな変化だ。ANNA SUIが特別好きだというわけでもないけれど、高校時代に初めてネットでバタフライのネックレスを見たときから憧れていたものだった。色を選べば可憐で妖艶にも爽やかで凛とした姿にもなる。ただただかわいい。
基本的に人と対面しながらものを買うのが得意ではないので通販ばかりなんだけど、通販ではもう取り扱いがなかったのでしょうがないかと思っていたそれが京都の伊勢丹にあって、どうしようどうしようと口に出しながらも心は買おうと決めていた。パーカーにスニーカーの女が伊勢丹でものを買うのはどうなんだろう、と場に合わせることがとても苦手なわたしはいたたまれなくなりながらもANNA SUIの店舗にいるに相応しい容貌の店員さんにこれ下さいと言った。結構な勇気を必要とした。
場にそぐわないわたしがわたしにそぐわないものを買うのはとても気まずかったけれど、どうにかこうにか買ったそれをずっと財布に入れている。

出来れば着けて違和感のない人間になりたい。女にはなりたくないけれど。女になりたくないしなれないと思うからずっとファッションが苦手だ。マニキュアもつけまつげもハイヒールも持っていないのだ。それを、女にならないままで身に着けられるようになれたらどんなに良いだろう。
欲しいと思ったものを持っていても違和感のない人間になりたいなと、エッセイを読んでいて思う。




今年の目標は好きな人をつくることです。
激動ではなく、穏やかで温かな素晴らしい1年になりますように。


昨年はありがとうございました。今年もよろしくお願いします。また毎年恒例振り返りバトンやります。
ちなみに10月から12月があまりにも精神的にいろいろありすぎてライブに行きながらももう17年はバンギャル上がるかも知れないなと思っていたのですが、ディルとピエロはついにデルピエロになるしcali≠gariの会報でなんかすごいこと言ってるし(圧倒的マジ勘弁感)喜び勇んで沼を作りやがるので、引き続きATMとしての務めを果たすことになるのだろうかと遠くを見つめています。
仕事納めは2016年12月31日20時半、仕事初めは2017年1月2日10時です。年明け初南無三。ではまた。







       









死にたいも生きたいもどちらも願望で言うなれば未来の言葉で、その時点の先が広がっているという仮定のもとに吐ける言葉なんだろうと読み返して考えていた。だから、思うとすれば、「あのとき生きていてよかった」と「あのとき死ねばよかった」だけなんだろうと思っていた。


結局見れなかったけど。きっともう見ないだろう。開くこともしないだろう。泣きたくて泣けないときだけは写真集を開くかもしれない。見なくてはならないという気持ちで見始めて挫折したから、多分もう、何年も何年も経って本当の意味で忘れた頃にああそういえばと手に取って、やっと思い出して泣けるくらい、それくらいの時を経て見れたら良いなと思う。未来の話は嫌いだが、来ない可能性の方が高いであろう未来の話は少しだけ出来る。


何度となく呪って、何度となく愛して、忘れる忘れない、もういいやっぱりまだ、をずっと繰り返してきた。狭い範囲の少ない語彙で自分の感情をやりくるめるには思いつくままに吐いては捨てる、それが精一杯だった。だけど本当のところ、何一つ言葉になんてなれないことは最初から分かっていたことなんだよ。ただそれでも言いたかったんだ。好きもありがとうもふざけるなも許さないも全部全部どうしようもなく本音だった。ずっと好きだったし、ずっと好きでいたかった。それを不可能にしたのは自分なのか相手なのかは知らないままでいい。あやふやにしておきたい。


cali≠gariが、昔追いかけていた人や今も追いかける人たちをも敵に回したとしても猶言いたい、cali≠gariというのは第7期だけがわたしが言うところのcali≠gariだ。そのcali≠gariが、わたしの人生の一部分を作ってきたのは間違いなく事実で、自分の知らない感情や景色をたくさん教えてくれた。雁字絡めな心も手持ち無沙汰な身体もどちらをもいろいろなところに連れていってくれた。雨が降り続けている白い箱の中から手を引いてくれたように思う。本当に、本当に大好きだったんだよ。思い出せなくても。遠い遠い距離と時間のその先で泣いている自分をただずっと見ていてくれたのは他ならぬcali≠gariだった。


怒りも、悲しみも、楽しさも、嬉しさも、果ては恨みも憎しみも、苦しさも、この上ない幸せも、全てをごちゃ混ぜにしたどうしようもない切なさも、全部cali≠gariを好きになって知ったことだった。好きになって良かったよ。cali≠gariに出会わなかったら今のわたしにはなっていなかった。それもまた間違えることのない事実だ。cali≠gariに出会わなかったら、もっとずっと生き苦しかったと思うんだ。随分と楽になった。だから結局のところ、救われてしまっているんだ。



あれだけが夢だった。


あれこそが恋だった。



どんなに探しても考えても辿り着く最後はありがとうだけなんだ。多分これからも何度となく呪って愛してを繰り返しながら忘れていくだろう。もういいとやっぱりまだを言い続けてやりくるめていく。それでいい。
永遠に言えないことは、永遠に言わないままにしておくよ。




一生に一度の恋だった。


何よりも、誰よりも、好きだった。