V.S.

ポエマー長文地下室バンギャル

夢のあと‐第7期cali≠gari一周忌によせて

    










一周忌という言葉を選んだことにすべての思いを込めました。成分が以下の長文です。ツイッター投稿改編版、後記あり。








    







今は無き個室ノイローゼという携帯サイトで配信されていたスクールゾーンの映像を見ていた。
ここから始まったんだよなあ、ここからまた…という、活動休止前を知らない人間でも感慨深くなる曲だ。スクールゾーン。単純にすごくすごく好きな曲でもある。

わたしがcali≠gariを聴き始めたのは活動休止中だった。存在を知ったときには既に2003年の野音から時間が経っていた。
作品に過去を求めても、バンドそのものには「今」と「未来」を求めたい。だから通常であれば終わったバンドを改めて掘り起こすことはしない。今もそれは変わらず、休止や解散をし完全に「終わった」後になって聴き始めたバンドはcali≠gariだけだ。
最初はボーカルの声がなんとなく受けつけず、飄々としたいやらしさを感じる音や借りたベストアルバムのカジュアルさにどことなく縁遠さを感じて聴くのを諦めた。しかしその後、何をきっかけとしたかは覚えていないが、やはりこのバンドは避けて通れないような気がしてまた一から聴くことにした。これもまた、cali≠gari以外ではしなかったことだ。そしてこの直感は正しかった。
そういういくつかの「このバンドだけ」という特別が余計にのめりこませる要因になったのかもしれない。高校生がオークションで再教育という再録アルバムを競り落とすくらいに夢中になり、受けつけなかったはずのボーカルの声も、いやらしいと思ったベースの音も、いつしかなくてはならないものになっていた。

活動を再開するとは全く思っていなかった。そもそも再開するのかどうかを考えたこともなかった。だけど、2009年、3月15日のムックの武道館で「≠」とサイトアドレスだけが書かれたフライヤーが配られ、わたしが大学に上がり一人暮らしを始めた数日後の4月1日、cali≠gariは誰ひとり欠けることなく4人で復活した。

初めて聴いたcali≠gariの「新曲」のスクールゾーンは、わたしが高校生の頃からずっと思い描いていた通りの曲だった。勿論-踏-にも思い入れはあるが、自分の重きはやはりスクールゾーンに置かれている。理由は単純、桜井青の楽曲と歌詞に惹かれたことがこのバンドを好きになった理由だったから。
そしてずっと、今もずっと、わたしは「桜井青」というひとが好きだ。

それは青春の、息苦しさと焦げるような感情を描いた、刹那をフィルムにしたような、わたしが思い描いてた通りの青さんの曲だった。他ならぬcali≠gariの曲だった。音も声も言葉も、なにもかもが、完全に完璧だった。
活動休止という名の解散から再開まで実に6年が経とうとしていた。小学生が大学生になろうとする年月。にも関わらず、6年前までとなにひとつ変わらない真芯を貫くような的確さで、それはあまりにも急激にわたしにとっての「特別な1曲」に成り上がっていった。
松本にいた頃はカラオケに行くと必ず最後に歌っていたので、この曲を聴くと、キンキンに冷えた朝の4時に、それまで友達とはしゃいでいた名残ともいえる郷愁にかられながら家に帰るゆるい坂道を思い出す。一番行っていたカラオケ店は学校と家との一本道の間にあったから、まさにそれがわたしのスクールゾーンだったわけだ。

再開から実に5年。数字にするとごく僅かな気もするが、濃密で、この5年が人生で一番つらく、そして一番楽しかった。

どうしようもないほど好きで、言葉にしてもしたりなくて、ほんとは言葉になんてならなくて、何度触れても足りなくて、
本当に大好きで。




cali≠gariの第7期終了・武井誠の脱退は、好きになるバンドから脱退者が出ることが多かったわたしから見ても明らかに様子のおかしいものだった。
メンバーのテンションが高く今までの中でも質が高かったように思われるツアー科学と学習、メンバー各々のソロも出演したオールナイトイベント大人の科学と学習、ツイッター上で開催希望を募りながらも実は水面下で既に決定されていたアーバンギャルドとの対バン、その合間合間に呟かれていた不穏なツイート。アーバンギャルドとの対バンの後に配布された、7に×のついたフライヤー。第7期最終公演決定という、ただそれだけの発表。
憶測飛び交う8月、関係者がリークしたらしきこともあり、それを受けての「cali≠gariを去るメンバーが1人いる」という石井秀仁の声明文。それまでは再びメジャーデビューする布石では、ついに石井さんが加入すると宣言するのではとも囁かれていたが、これが希望を打ち砕く決定打となった。誰が脱退するのかいろいろなところで議論が交わされるものの、何もかもきっと無意味だった。


そして一年前の今日、9月27日。
日比谷野外大音楽堂にて、ドラムス武井誠の脱退が発表された。


今までの全てが、全会場のライブ写真が販売されたツアー、似顔絵というファンとの交流も含んだイベント、対バン希望がムックとPlastic Treeの次に多かったアーバンギャルドとのツーマン、それら全てが、邪推だが恐らく「悔いのないように」と行われたものだったのだろう。もっと遡れば舞浜アンフィシアターで2日間開催された東京カリガリランドも。誠の脱退は秋で、確か「もっと以前から話が出ていた」といった主旨の発言がなされていたから、カリガリランドよりも更に前からその覚悟をしながら活動をしていたのかもしれない。今思うと、縁の深い会場を、cali≠gariの幕開けとなった曲だという「禁色」の名を掲げて回ったツアーでさえもその覚悟を携えてのものだったのだろうか。

悲しみは言うまでもない。
全身を包む湿った秋の風、
終演後の滲む照明に泣きながら立ち尽くすファン。
トコママンでの鳴り止まない涙声でのアンコール。
「帰れないよね」と微笑んだ、遠い声。

忘れない。
忘れられない。



だが同時に、言っても言い足りない未練がある。当日まで誰が脱退するのか伏せられていたという特殊な形での脱退だったからこそ引きずっている可能性も否めない。気持ちの整理は実はまだつけきれていない。今過去のインタビューを読んでも、どうしてこうなったんだろうと思わずにはいられない発言が随所にある。一年という月日を、どう言葉にしていいのかわたしには分からない。
未だに未練は言い足りないが、ではわたしは一体3人のcali≠gariに、誠にどうしてほしかったんだろう。考えるための材料が足りないようにも思う。誠に戻ってきてほしいのかと問われれば……分からない。そう答えるより他ない現状だ。

だけどつまるところ、結局、わたしはちゃんとした、真摯な説明をしてほしかった。「どちらからも」、「そのときに」。
以前、脱退理由は言わない気がするし言わないのであれば聞かない というようなことを書いた。それは本心だ。言わないと決めたことを無理矢理訊くことなんて出来ない。それにもっと単純に訊く機会なんて無い。迷惑をかけたくなかったので握手会で脱退理由を訊く猛者にもなれなかった。でもそんな次元の話ではなく、
言えないことも言いたくないことも、たくさんあったと思う。きっと、言葉になんてほんとうにできなかったんじゃないだろうか。
誰よりも誠が一番のガリストであったことは、たくさんのファンが知っていたことだ。
だけど、それでもという思いを禁じ得ない。これもまたひとりのガリストとしての意見。欲を言えば、誰かに頷いてほしい。言わなかったことを、聞きたかった。訊けないけれど、聞かせてほしかった。
言わないならそれで構わないという思いと、聞かせてほしかったという思いがずっと混在している。でももしそのとき真摯な説明があったなら、その理由がどんなものであったとしても今こんな風にキーボードをたたかなくても良かったのではないかと思う。

或いは、当事者が何も語らないのであればせめて、沈黙を貫き通してほしかった。
わたしはまだ12の特典DVDを見ていない。見るのが怖い。そんな脱退に関する証言の全てを細かに追っていないわたしが言うのもなんだけれど、ウェブ上や雑誌でのインタビューを読んで、一方的に言及するなんてそんなのフェアじゃない…と思わずにはいられなかった。
穿った見方だと自覚しているが、インタビューを読むとなんとも言いようのない居心地の悪さ、後味の悪さ…そういうものを感じる。だから、我ながらそれはと思っていても、どうしても、3人の側が、すごく…率直に言って、厭な感じに見えてしまった。そしてそう感じてしまうような発言が、あくまでも7期終了の経緯を説明するものとして、本人のいない場所で、事後報告として語られたこと。
まさか後になって語られるだなんて予想だにしていなかった。本人が何も言わずに去ったにも関わらずだ。傷口に塩を塗るような所業だとあの頃のわたしは思った。
本当はそれ以外に言いようなんて無いことは頭では分かっているのだ。8期のcali≠gariが始まるにあたり7期を振り返ることが避けられない話題であることはあまりにも想像に容易い。

ただ、それでも。

事前に誰が脱退するかを発表したうえでの最終公演だったなら、
もっと言えばツアーを回る前に言ってくれていたなら、
本当の最後であったトコママンの開催がもっと余裕のあるものだったなら、
決まっていた別れを、その覚悟を、一緒にさせてもらえていたら、
あの野音で、あのLOFTで、聞けたなら、
聞けないのであれば、せめてずっと何も聞かされずにいられたなら。

叶わないことを今でもずっと思っている。どうしてそれは叶わなかったのだろう とも。



だからわたしは、誠の脱退がいかに不可避であったとしても、例えバンド側がいかに葛藤していたとしても、どんなにどうすることもできない事情があったとしても、やはりあの一連の脱退劇は結果として不誠実な方法であったと思う。



不躾な言い方をしてしまったが、結局わたしは夢を見ていただけなんだろう。バンドの何が好きかと問われれば、勿論作品が主ではあるがやはりそこに人となりや一蓮托生を見たいからでもある。「このメンバーだからやれる」「このメンバーとやる」ということが、とても眩しくて羨ましくて、美しいと思うのだ。
だからわたしにはムックもメリーもとても美しく映る。いつぞや、メリーのネロさんが「オリジナルメンバーで」と繰り返したMCについてのツイートがタイムラインに流れてきた。cali≠gariなんて最初からのメンバーは青さんだけだけど…わたしにとってのcali≠gariのオリジナルメンバーはあの4人だった。

なんて利己的な理想の押しつけで、不毛な感情移入だったのだろう。

そして鶯谷。思い出したいとは思わない。
12の初回のインタビューを見ることは多分この先も暫くは無いだろう。
セックスと嘘とライブハウスツアーには複数箇所行ったが、その後、どうにも腰が重く、心が重く、次はいつcali≠gariを見られるだろうかと思っている。自分の誕生日だからと賭けた本八幡初日には落選した。

わたしは3人のcali≠gariというバンドを否定したいわけではないのだ。違和感を感じたのは事実だし失礼な言い方もしてしまったが、活動を続けると決めてくれたのは彼らだ。作品をつくって、ライブをしていくことが、並大抵のことではないことを知っている。名前は彼らが残してくれる。今までもたらしてくれたものや思い出が消えるわけでもない。それに、名を広めてくれるのもまた彼らだろう。きっとこれからもどんどん新しいものをつくって、新しいものを見せてくれるはず。cali≠gariの「今」と、これからの「未来」に期待している。これはほんとうのこと。だから作品がつまらないと思う日が来るまで音源は買い続けるし、行きたいと思えば軽率にライブに行くだろう。
わたしにとってアルバム12は鬼門だ。地雷だらけと言っても過言ではない。不在と、そこからの変化を浮き彫りにするアルバムだと思った。それを進化と捉えるだけの度量はなかった。そんな自分を責めたくなり、答えられない「何で」を自分に問いかけ続けてしまう。葛藤を繰り返すことになる12の中で、聴けばあの暗がりを振り向いた鶯谷の苦しさを思い出す12の中で、それでも「あの人はもう来ない」だけは、これだけは以前のわたしに戻って聴ける。何よりもcali≠gariが大事だったわたしになれる。そしてそれをよしとすることが出来る。
今はまだそこまでではないのだけれど、いつかきっと、墓まで持っていきたい曲のひとつになる。そんな気がした。人生の道連れにしたいと思う日が来る。この曲が12の中にあって本当に良かったと思った。
そんな曲を新たにつくってくれたことは文字通り有り難いことだ。cali≠gariにはそういう曲がとても多い。こういう言い方をするのをメンバーは嫌うかもしれないが、cali≠gariの曲に救われた、cali≠gariの曲と生きたいという人は決して少なくないはずだ。技術的なことはわたしには言えないけれど、すごいバンドだと思うよ。きっと、本質は何も変わらないままの。


でも、
今日だけは言わせてほしい。
どんなに石井の声が得難いものでも、青さんが懐かしくても、研次郎のベースが聴きたくても、次はどんな曲が聴けるのだろうと新曲を待つ気持ちがあっても、今のcali≠gariはわたしが愛していたcali≠gariではなくなってしまった。誠の存在の欠落が決定的な何かをもたらしてしまった。
それが、わたしにとって、わたしのあの5年間にとって、これからのわたしにとって、どれだけの喪失か。

わたしだって、本当は8期のcali≠gariを笑って見たい。
「受け止めて受け入れる」というそれだけのことがわたしにはまだできないでいる。
今年の9月27日はわたしの青春の一周忌。もう二度と戻れない。繰り返すことも叶わない。
どんなに好きだったかなんて、だれにもわかってほしくない。だけどだれかにわかってほしい。好きだったんだよ、ほんとに。cali≠gariというバンドが。他ならぬ第7期の4人のcali≠gariというバンドが。死にたいとも生きたいとも思わせてくれた、そういうバンドだった。わたしがわたしの人生を背負わせられたのは、7期のcali≠gariだけだった。



最後に、どうか7期のcali≠gariを踏みにじるようなことだけはしないでほしいという、大変に無礼で勝手な、だけどもてあますほど切実な願いだけは書き連ねておきたい。思い出まで壊すようなことはしないでほしい。
20年後か30年後か、顔が変わり時代が変わり、言い逃れようもない大人になったいつかの日に、今CDラックに所狭しと並んでいる作品が相も変わらず宝物だと思えたら、それだけでいい。わたしがcali≠gariを好きだったことを誇れたなら、それだけで。














後記


二ヶ月前にぽつぽつ書いていたことを一ヶ月前に繋げて加筆し、それから昨日までちょこちょこ推敲をしてきた。
長い時間をかけたわりにはこんな出来にしかならないことには非常に限界を感じるし、最終的に何が言いたいのかがよく分からなくなってしまったので残念な出来と言わざるを得ないが、それでもなるべく感情的すぎないように、喚いたようなうるささが少なくなるように努めた。べたつかないように、静かに怒り静かに泣けたら。そう思いながら書いた。一から十まで喋りたがってしまうわたしが、言いたいことを限界まで削って書いた。
ひとつ前のはてなブログに書いていたことは、やはり感情面ではほぼ罵倒で出来ていたように思う。粗暴な気持ちがそこにあった。詰ろうと思えばいくらでも詰れた。汚い言葉やうるさい言葉も思いつくままに書きなぐった。そうしないと気が済まなかった。でもこうして長い時間をかけることで冷静になり、それらの攻撃的な感情も鳴りを潜めたが、その攻撃的な感情の内側に小さくうずくまるようにあった純粋な悲しみや嘆きと再び向き合ったとき、やっぱり涙が出た。

今更になってこれを書き、そして公開することに意味があるのか分からなくなったりもした。改めて、わたしはすごくベタベタした湿っぽい、きたない感情でcali≠gariが好きだったんだなと思った。それを我ながらおかしいと思った。もっと爽やかな気持ちで明るく応援出来たらよかった。
だけどやっぱりだれにもわかってほしくないし、だれかにわかってほしかったのである。ブログで書けば充分なものを敢えてツイッターに放流したのはそういう理由だ。ちなみにツイッター投稿版はここに掲載した文章より更にいくらか量を削ぎ文章を少しだけ変えている。配慮という名のビビリだ。この後記を載せないのは、わたしのちっちゃいプライドだ。承認欲求と言われればそれまで。でも好きなバンドを同じくする顔も知らない誰かが一人だけでも頷いてくれたらそれで良いと思った。書きながら泣いて、泣きながら書いた文章が、誰かしらに響いてくれたら嬉しい。
それに、もしも誰にも響かなくても、やっぱり書けただけで意味があったと思いたい。
これはわたしの中で最も冷たい光を放つ5年間への追悼文であり、靄のかかる現在と未来への手紙だ。

今のcali≠gariはわたしにとってもう特別じゃない。

それを言い切ってしまうのがずっと怖かった。
でも、もういいんだ。きっとそう言い切って初めてわたしは8期と向き合える。

そして、そう言い切って初めて言えることがある。ずっと、どうしても、言えなかった。



武井誠さん。

口ずさみながらドラムを叩く姿が好きでした。

本当にありがとうございました。本当にお疲れさまでした。

cali≠gariが大好きなあなたがいたcali≠gariが、なによりも、なによりも大好きでした。

わたしの夢のような5年間と、そしてあなたに、さよならを。