疾走

長文ポエマー地下室バンギャル

圧巻と余白




はてなブログのトピックが好きなギタリストでした。
なんというトピックだろう。このタイミングで。
語りたいと思いまーす。いつも通りでーす。




なんというか、勿論人によって違うし感情の深さや種類なんぞはかることは出来ないので一概には言えないけれど、やっぱりジャニオタとバンギャルにはその性質に絶対の相違点があるような気もする。似て非なるものの、「非」の部分が。まだ上手く言葉に出来ないけど。
何でここを比べるかと言われれば、まあ自分が半分ジャニオタに足突っ込んでるような人間だからだと思う。アイドルも好きだから。「ファンとしての文化」が構築されているところも面白い。ただジャニーズのFCに入ったことはないし、自認としてはあくまでもバンギャルです。入れ込みようも全然違うしね。
やっぱり曲や歌詞を自分で作るということの意味は大きい。だってアイドルの中でも「メンバーが作詞作曲した」っていうのは重要なことでしょ。主観的に思うことばっかりで申し訳ないけど。
アイドルは「自分を作品にして」、バンドマンは「自分の一部を作品にするか」ということの違いだろうか。もう言ってて既にこんがらがってる。わけわかんなくなってる。誰か本当にこれについて書いてくんないかなあ。バンギャルでジャニオタな人頼むよ。20回読むわ。

わたしは本命を偶像として好きであると思っている(あくまでも「思っているだけ」なのである。他人から見たらどうか分からない)けれど、その「偶像として好き」という傾向はどちらかというとアイドルの方が多い気がする。体感として。まあアイドルがそもそも偶像という意味だしね。
「人として好き」だとのたまう割合はバンドマンのファンの方が多いんじゃないかなあ。これも偏見。でもわたしが偶像とみなして好きなのはあくまで本命麺であり好きなギタリストである桜井青だけで、あとのバンドマンは大体「普通の人間」として、「人間がバンドマンをやっている」「バンドマンという人間である」という目で見てるよ。だからやっぱりバンドマンは偶像として好きなのではなく広義での「人として好き」に当たる気もする。そこは多分作品に対する思い入れの違いだと思う。例えばムックの曲が死ぬほど好きだったらムックのメンバーを偶像化していたと思う。なんかこんがらがってきたぞ。つまりわたしは青さんをアイドルとして見ているんだろうか?ああうん、一理なくもないね。どうかと思うね。
逆を言えばアイドルは人である前にアイドルという偶像なんだ。そういう業も背負う仕事だ。

だけどバンドマンでも生い立ちやバックグラウンドに分かりやすい(というと語弊があるけど)ストーリーを持っている人、持っていそうだと想像を掻き立てられるような人は、その人自身が作品になりやすく、偶像化されやすいのかも知れない。



本題。好きなギタリストですね。

まあぶっちゃけずともわたしは歌詞を重視しギターの巧拙にはまるで詳しくない典型的なクソ耳バンギャルですよ。よくある「音楽なんか聴いてないんだろ」って言われちゃうようなやつ。肯定はしないけど否定もしないぞ。
あんまりたくさんのバンドを観たわけでもないし、好きなバンドは偏ってるし、うまいへたも分からないので語りたくないし、なんかトピックに参加することも大変失礼な気がするけどそれでもやっぱりcali≠gariの桜井青が好きです。
ギタリストとして好きかと言われると前述の理由から非常に難しいのだけど、個人的にここがすごいよこのギタリスト的なことを書いてみようと思う。うまくいかなかったらごめん。


やっぱりなんといっても個性がものすごかったことじゃないだろうか。
cali≠gariは今でこそ石井秀仁と愉快な仲間達(思いの外しっくりきて笑ってる。勿論それぞれキャラ立ちしてるとは思うけどね)って感じだけど、青さんはずっと「僕はずっとcali≠gariの4分の1になりたかった」って言ってる人だ。前任のボーカルもそれはまあ大層なキャラだったけれど、それでもcali≠gariは青さんのバンドだったんじゃないだろうか。リアルタイムで見ていないので想像だが。
7期でさえもメンバーが「cali≠gariは青さんのものだから」とずっと言ってたようだ。それがやっと青さんの手を離れたのはここ最近のことだと思う。少なくとも復活後…個人的には10が出て馴染んだくらいからかなあ。そして石井が「青さんの個性が強すぎたから他のボーカルがやめていった。あのバランスでやれるのは俺だけだと思いますね」みたいなトンデモツンデレ発言をしたのは記憶に新しいですね。もうちょっと若くてイケメンだったら薄い本が出ますね。いろんなところから怒られそうですね。
つまり石井秀仁が現れるまで、本人の意思とは無関係にワンマンと思われかねないほどのものすごい求心力を持ってたってことだよ。前面に出るのではなく、むしろ対等であることを望むほどに抑えようがない突出したもの。
それは「石井秀仁と愉快な仲間達」になった今でもライブを見てると思う。不意に独壇場になる。サイレンの青さんは本当に圧巻だし、あれがあったからこそバンドは特殊な立ち位置を得た。
勿論作品面で、曲の大部分を書いていて、ファンの入口になることも多かったことも挙げられるとは思うけど。


そしてここで前置きを回収できるわけだけど、青さんにストーリーを見るのは非常に容易いということ。
本人の出自やセクシュアリティなどの背景などはこの際どうでもいい。勿論ゲイでしかもそれが後天的であることとか、専門学生時代に腰まで髪があっていつも下駄履いてた(こわい)とか、子供の頃父親に連れて行かれた場所とか、そういう実際の軌跡に基づいたストーリー性というものもたどればいろいろ出て来るし全部まじかいとは思うけど、そういうのを抜きにしても、だ。
歌詞を見てれば「何も無くてこれは書けないな」って思うでしょ。思わない?ちょっと寝不足で書いてるからアレだったらすいません。
でもわたしは思うんだよ。何も無くてこれは多分書けない。普通の人間が一生で1回経験するかしないかという大きなことを、もう既に何回か経験していそうな気がする。
まあこれはギタープレイに関することではないのだけども。でもステージでの佇まいであるとかには影響してくるはずだ。
青さんはステージ上で「桜井青」を演じている。演じるという言葉は偽ると同義ではない。これは体感的に見てて思うことだ。


繰り返すようだけど巧拙は語れない。ギターの種類もよく分からない。やったこともないし、聴いててそれが正しいのか間違ってるのかとかは分からない。ライブで音外したなーとかは分かるけど。うまいへたで括るのはとても難しくて果てしないし、それに挑戦することもわたしは放棄したい。聴いてて気持ち良いかどうかとか、この人ギターが好きなんだなあとか、そういうのを実感したこともそんなにたくさんはない。だけど見ている。ずっと見てきた。桜井青がいなければcali≠gariにはならない。


ステージの上で、技巧でも表情でも言ってしまえばダンスでも何でもいいのだが、そこに圧倒的な何かがあること。

そしてギターを弾いている姿の裏に何かしらの物語を見つけられる余白があること。


それは多分ボーカルでもベースでもドラムでも同じことなのだけれど、ギターという楽器だからこそ活きるものもあるんじゃないかと思ってる。なんといってもバンドの花形はギターだ。バンドの顔はボーカルだけど、花形はきっとギタリスト。
だからプレイ以外にも、こういうことはギタリストにとって重要な魅力の一部な気がする。わたしに「巧ければいい」という価値観しかなかったのなら青さんもミヤくんも好きだとは思わないだろう。






なんか青さんのことばっかり書いてて猛烈に気持ち悪いっすね。気持ち悪いっすね。大事な以下略
石井についてもこういう記事を書きたいなーと思ったりもするんだけど、なかなか難しかったりするんだなこれが。あ、でもこの「圧倒的な何か」ってのと「物語を見出せる余白」っていうのは石井にもあると思っています。個人的には前者がまだちょっと感じ切れてないかも知れない。…率直に言うと薄れてきたって言った方が正しいかも知れない…。自分の好みドストライクってわけじゃないからかなあ…そこはシュージストに任せたい。誰か書いてえ…………。あと後者の物語っつーのは青さんよりもっと硬質で無機な感じがするのでもうほんと石井難しいわー。なんか軽率に語ったらバチが当たりそうな感じするじゃん?青さんだったらいいのかって言われると…ごめん。そんなこと思ってないけど書きたいねん。