V.S.

ポエマー長文地下室バンギャル

『自宅にて』と『ガラカルテ』と



いつもこの冒頭に何を書くか迷いますわ~
とりあえず感想文です。




こないだ記事に出して、久しぶりに自宅にてをぱらーっと読んだんですが、Tama脱退に対してもちゃんと書いてあったんですよね。

わたしはあの頃ほんとにクソなファンで、とにかく昭仁が歌っていればそれで良いと思っていたために特別大幅なダメージも受けることはなく、だけど「うちのお母さんがのいちゃんに『何で一人抜けたの』って聞いて来いってー」と同級生にTama脱退の理由を訊かれてものすごくなんとも言えない気持ちになったことだけは覚えている。
とても昔、もう10年以上前のことなので覚えていないことも多い。脱退の理由は「新しい道を探し更なる発展のため」とかそういうふうだったように記憶している。もしかしたら全然違うかも知れない。違ったら申し訳無い。正直今でも何故脱退したのか、具体的な理由、もっと言えば勘繰った事情みたいなものはわたしには分かっていません。文字通り音楽性方向性の違いなんだろうとはぼんやり思っているけれど、それに確信は持てない。

その頃はFCにも入っていなかったなあ。デビュー当時から好きだった癖に、変わらず一点集中型でポルノしか見てなかった癖に、ファンクラブってものが恥ずかしくて入りたいって親に言えなかったんだよね。FCに入らなくても昭仁の歌声は聴けたし晴一の歌詞も読めたしね。

でもなんていうか、妙なダメージの受け方をしなかった分、もしかしたらその頃はちゃんと「音楽が好きで」「そのアーティストが好きで」応援出来ていたのかも知れない。裏を探るような真似も、何でって責めるような真似もそのときはしなかった。昭仁のことは本当に好きだったけれど、わたしが好きなのはあくまでも「ボーカリスト岡野昭仁」で、歌声が好きで歌っている姿が好きで、プライベートは一切興味が無くて、どこのブランドの服を着ているかとか、今の髪型はどうだとか、ライブの最後に物販のどのTシャツを着ているかとかそういうことにも全然関心が無かった。晴一も同じ。ただただ書く歌詞が好きで、言葉選びが好きだった。他のことはどうでもよかった。歌番組のトークでさえ飛ばすこともあった。即ち、本人の「人格」という側面にはあまり深入りせずに済んでいたし、言ってしまえば依存することもなかった。
Tamaの脱退には、ただただそっか、そうなんだ、なんだか残念な気がするなってぼんやり思っただけだった。すごく最低なことを言っている自覚はあります。幸か不幸か2人になっても本間さんのプロデュースは続いて、楽曲のクオリティが著しく落ちるようなこともなかったから、結果として今でもFCを継続する程度には好きでいられている。
ついでに最低な人間なので、何かしら大きな事情を受けて生まれた曲に期待する悪癖が出たりもした。今もやっぱり傷を歌にしたようなものが好きだ。実際に事情を受けての曲かは知らないが、シスターは大好きです。

むしろ、今になってTama脱退の顛末に触れた晴一の文章を読んで、すごく納得のいく部分もある。
タイムラグなんだろうなあ、と思う。
ここで誠脱退に触れるのはなんとなく自分の中でルール違反なんだけど、せっかくの秋の夜長だから言います。
もう決まりきっていたことを、感傷的に惜しむ方がきっと難しかった。わたしの脱退や終了に対する気持ちは、同じ中身ではなかったにせよメンバーはもう数ヶ月も前に済ませてしまっていたことだったんだろう。そりゃあ、出来ないよね。今更。その日に決まったことだったら涙も出たかも知れないけれど、ずっと前に決まっていたことだったなら、やっぱり青さんの言うように楽しむ以外にどうしたらいいのかって話だろう。決定と、発表と、実際と。タイムラグがあることは分かっていた。だからメンバーの感情を責めようとかは思わない。当日どう思っていたかとかも特に言及するつもりもない。そもそも知らない。ただ行動は責めたくなる。「どうして一緒にその覚悟をさせてくれなかったのか」というのはそういうことだ。これはお門違いだけれど、「信用されてなかったのか」とか、「ファンって何なんだよ」って、気を抜くと思ってしまいそうである。無力さを思い知らされるようだった。そういうことではないんだろうけれども。

自分がツイッターに上げていた画像の数々を見ていたら、14年の6月に「好きなロックバンド」というハッシュタグで4人のcali≠gariアー写があった。込み上げる何かがあった。

長年ポルノを見ていて、それはライブだけでなくDVDや音楽番組も含めてだが、ヴィジュアル系を好きになって一番のカルチャーショックはもしかしたら「ステージにメンバーしかいないこと」だったのかも知れない。ポルノはサポートメンバーがポルノメンバーの倍以上いることが多い。少なくともベースとドラムは必須だから、ポルノ2人の他に必ずもう2人はステージにいることになり、それに加えてヴァイオリンやマニピュレーター、キーボード、パーカッション、ブラスバンド…なんてやってたら大所帯だ。
わたしが初めて見たヴィジュアル系のライブはムックの武道館だったのだけど、「うわーステージの上にムックしかいねえ!」と思った記憶がある。バンドって本当に4人だけで出来るもんなんだとさえ思った。ステージの上にメンバーしかいないっていうのは案外普通なことではないのだと思う。だってテレビだと、デュオだろうとバンドだろうとサポートが多少入るじゃない。ストリングスだったりコーラスだったり。そっか、メンバーだけで充分成立するもんなんだなあ。そう思ったとき、やっぱりバンドっていうものが格好良いと思ったし、「ボーカル、ギター、ベース、ドラムが揃っている『バンド』であること」が自分にとって重要なことになったんだと思う。
晴一が「バンドをやりたいとずっと思っていた」と書いた理由も自分なりに理解した。

誠が脱退して、あれだけ愛した「バンド」であるcali≠gariさえも「バンド」ではなくなると思うと、どうにもならない虚しさがある。良い意味でも悪い意味でも中西さんに対して言いたいことなんてもう無いが、だったらいっそのこと早くドラムを入れて9期にしてくれと思ったりもする。誰でもいい。言い方は悪いが。
最初はcali≠gariのドラムが誠以外の誰かになるなんてそんなの耐えられないと思っていたけれど、このまま3人で続けられた方が、わたしはずっと忘れられずに、いつか恨んでしまうんじゃないかと思った。3人がわるものに見えたまんまなんだ。なに言ってんだろうね。そう、なに言ってんだろうと思うからこそ、だったらいっそ新しい「バンド」としてのcali≠gariが見れたらと思ったりもする。



とここまで書いてPCの電源がダウンして記事が消えて憤慨した…と思いきや復活してひゃっほうでハイアンドロウしたわけですが、1回消えたと思うともうこれに続けることもないですね……



はてさて本日『ガラカルテ』が届きました。
参考 Amazon CAPTCHA
しかしAmazonって商品紹介ページとして優秀だよね…表紙も出版年も出版社も分かれば中身の概要も分かるしね…
まず本を開いたらインスト参加券がはらりと落ちて来て「いやいやいやいやwwww」ってなりました。行ったれよ!33番!と思ったけど、もしわたしのようにフワフワ層の人間がこれを買って読んで、本人と対面しなければならないとしたら一体何を言えば?ってなったので、ありがたく栞として使わせていただきました。

以下ネタバレ含みますよ~!

最初めっちゃ草生やしながら読んでたけど(多分間違ってはいない読み方だと思う)、だんだん「うわああああ」ってなったし、東京地下室あたりはもうまじかよ感しかなかったです。ぶっちゃけわたしMERRYが活動休止してたこともすんげえうすぼんやりしか認識してなかったもん。ごめんね。でも07年にアルバムを聴いて、再びMERRYに目を向けたのが13年にBeautiful Freaksを聴いてからなので、その間にあったことはほぼほぼ右から左へ状態だったから…やっぱり「一時的に活動休止」とバンドの終わりの「活動休止」では全く違うものね。あと何といってもcali≠gariに全力だったから他のバンドのことはあんまり見てませんでした。盲目とはほんとこのことですわ…

日本に生まれた時点で石油王になる可能性めっちゃ低いよな。気持ちわかるぜ…とか、いや看護師さんにキレるのはやめてえwwwとか、
あとブロック注射のとこどう考えても『アッー!!』♂♂♂にしか見えなくてほんとガラさんと全方位のぬめぬるさんに土下座したくなりました。正直ここですごく吹いた。多分一番吹いちゃいけないところで盛大に吹いた。こういうところで吹いちゃうからわたしは駄目なんだよ…
なーんて適当なことを思いながら前半読んでいたのだけども、「ワロタwwww」って感想だけだと怒られそうなので、真剣な感想も書いておく。


まず随分と赤裸々だなあと思ったこと。

現在はSNSやらネットやらが発達して云々かんぬんでかくかくしかじかなので、バンドマンの日常みたいなものは以前よりもよっぽど身近に感じられるものになったことは間違いないと思うし(ギリギリ発達しきっていなかった高校時代、手探りでcali≠gariというバンドひいては桜井青を想像するのはもう今では絶対味わえない面白さだったなと思う)、最早バンドマンでさえも「キャラ」つまり人格や人となりが音楽と抱き合わせで売られているような、あるいは受け手自らその情報を得るか得ないか選択できる時代でもあると思っているんだけど、
なんというか「不安」っていうのをこういう形で自分の外に出すのはやっぱり赤裸々だと思いました。

自分が何故ヴィジュアル系が好きかっていうとやっぱりひとくちに言って「他のバンドでは無い(見つけにくい)暗さが多いから」っていうのが理由なんですよね。深夜無駄に起きていると急に得体の知れない不安が襲ってくることがあるんですけど、それをどうにかしようとしてついでに音楽を聴いているイメージ。実際にそういうつもりで聴いてるんじゃないけど、分かりやすく言うとこういう感じ。どうにかしようってのは決して「不安を無くそう」ってだけではなく、「いっそのこと飲み込まれよう」っていうのも含まれてる。
そしてわたしがムックやcali≠gariを好きになったのは、その「得体の知れない不安」とか、それに負けることとかあるいは立ち向かうこととかを書いた曲が多いからだったと思う。いや実際は知らんよ。わたしのイメージだよ。でもラブソングが少ないってことは、その分自分という存在に捕らわれての内省だったり攻撃だったりに費やされやすいとは思うんだ。そこはほら、ヴィジュアル系だし。
アレな言い方になるけどバンギャルってやっぱり自意識が肥大気味な人がなるもんだと思ってる。自分を省みてもね。

個人的にはステージを引きずられて去るよりも、痛みに負けて情けない声を上げてしまうよりも、看護師さんにぱんつ替えてもらうよりも、ファンが待ってくれるか、バンドはどうなってしまうのかっていう、そういう不安をストレートに書いてしまうことの方がよっぽどカリスマ性からは遠いような気がしました。

って書くと何だか喧嘩を売っているような感じになってしまうかな…
ヴィジュアル系が好きなのはそういう見えない不安を描く作品があるからで、イヤァその気持ち歌詞で見たかったなというか、バンドマンなら音楽で・小説家なら本で・画家なら絵で表すもんだとばかり思ってた…というか…(っていうのもえらく無礼な言い草だが)
ここが「バンドマンの文章読むの怖い」っていうのに半分該当したのかな…
勿論こういう事の顛末を文章にする上では感情は書かないわけにはいかないし、そうだよな~絶対怖いよな~って頷きながら読んでたのも事実なんですが。

うーん、そういう文章が書かれているのを読んだとき、引いたり幻滅したりしたのではなく、ただただ「赤裸々だな~」って思ったのです。
赤裸々だから、カリスマ性とは遠いような気がしたって感じです。

まあこれは「カリスマ性」がどういうものかという解釈によっても違ってくるだろうけれどね。わたしはぎっくり腰が格好悪いだなんてまるで思ってないもん。確かにボーカルがスタッフに引きずられて退場する映像のインパクトはすごいけども、個人的には笑うとかガッカリとかよりよっぽどおいおいおいおい大丈夫かよってなるしなあ…そんで石井はウエットスーツでライブなんて二度とやるなよ。

あと、これを読んだファンは余計に不安になるんじゃないかとも思ったり。
最終的に周りに感謝して前向きに、っていうほんとに改心したような(笑)姿勢になるのでその不安も払拭されるとは思うんだけど、もし自分がすっげえ入れ込んでるバンドマンにこういう本出されたらと思うとちょっと怖い。1週間くらい引きずりそう。ガラ贔屓の皆さんの心中勝手にお察しいたしますってなった。
これは個人的な願望に過ぎないけど、バンドマンには「大丈夫」って言ってもらいたい。人間なんだから必ずしも大丈夫なわけないって分かってるんだけど、それでも出来れば強がって何でもないように見せてほしいと思っちゃう。押しつけることは出来ないですけど、やっぱりそう思いますね…
ハー怖いわー…


ああでもね、その不安を見てなんとなく「意外と謙虚だな」なんてことも思ったりした。もっと上から目線で待ってろよとか、1年くらい何だ、なんて言われるのかと思ってた。だからちょっと良かったなって思いました。
バンドに対して、バンドを取り巻くまわりに対してやっぱりめっちゃ真摯なんだねガラって。そこはすごく良いなあと思いました。


他に印象に残ったことだとまあ「メンバーと家族になりたい」とか…
「群青」がえらいウマいなとか…
「梟」推しにああんわかるうとなったこととか…
思った以上にワンマンだったんだなーってなんとなく納得したこととか…しかしワンマンってやっぱりメンバーの名前覚えられないってこと起こりがちな気がするww周りの「ごめんメリーってガラネロしか分かんない…」率が異常ww

全体的に面白く読めました。最初ひゃっ…てなったけどww読み進めたらそんなに違和感も無く普通に笑いながら読んでたし。楽しかったです。でもやっぱり雑感の『自宅にて』とは違って何回も何回も読み返す種類の本でもないのかなーとも思った(単純に自分が痛い描写苦手なのもある…)。
あとガラカルテでぐぐって出てきたインタビューページにて「映画化のときは主演を佐藤健くんとかに…」と言っててクッソ笑いました。そんなことしたら絶対主題歌アミューズやで個人的には窪田正孝くんを推しておきます。


ちょっと体力がなくなってきたのでまた思い出したら書きます。なんか妙なところにフォーカス当ててしまった気がするな…


あとはまあ「ハイハイ」ってなるでしょうけどやはり桜井青には何かしらの本を出してほしいなと思いました。ガラカルテの内容は少々冷や冷やするものだったのですが、やっぱり本人の言葉がぎゅっと詰まった本が自分の本棚にあるということはかけがえのないことだと思います。歌詞カードとはまた違った良さ。
歌詞カードはやっぱりそれなりに詩的な表現にしないといけないと思うんですけど、そういうのを取っ払ったところで、むしろ歌詞的な表現が寒くなり得るところで青さんが何をどう書くのかがものすごく興味があります。し、やっぱり桜井青が書いた本を自分の本棚に並べたさたるや。間違いなく2冊買うだろうね…
歌詞を集めた詩集でもええねん…京さんみたいな…詩集だったら3冊買います…(とここで京さんの詩集の値段を見てぶったまげる)
ああでも絶対に無いんだろうな。そもそも出すこと自体無さそうだけどもし出すとしたらデザインのポートフォリオとかになるんだろうな。この片想い感はんぱねえわ…
一度「詩集出して下さい」って言ったことあるんですけど、完全に意味不明な流れ且つ剥がし直前だったのでどちらからもどうも出来ず当たり障り無いビジネス対応をさせてしまい泣いた。
はあ…ほんとに本出してほしい…何卒文章で…生涯大事にする…


そんな感じでした。おやすみなさいまし!