疾走

長文ポエマー密室バンギャル

大体何でも難しいけど



音楽ライターって絶対難しい、と思った話。

※批判(非難)的内容を含みます。
※実際の現場を知らないので、ライター=インタビュアーと見て書いています。




ヴィジュアル系の専門誌、或いはヴィジュアル系の掲載に対してガードが緩い(という言い方が適切かは分からんが)雑誌は意外とたくさんあるのだけども、正直ヴィジュアル系に関わるライターさんはどうにも私情を挟みがちだとはなんとなく感じていた。

確信を得たのはこのツイートを見てからだけども。


わたしは中学1年くらいからずっと場所を変えつつこうしてブログで文章を書いているのだけど、ブログというだけあって基本的には自分のこと、自分に宛てたいこと、個人的に交流のある人に対して宛てたいこと…とどんなに大きく見積もっても半径100mくらいに伝わるか伝わらないか、という程度の内容と気持ちで書いている。例えばフォロワーさんに対してとか、趣味を同じくする人に対してとか、その程度の範囲。
勿論インターネットなので実際に読む人との距離は(物理のみならず精神も含めて)何百kmと離れているのかも知れないし、配慮は必須だと念頭には置いている。だけどここでのメインであるバンドのこととかアイドルのこととかそういう「郷」の中のことを全く知らない、それこそ何百kmと距離のある人に全てを理解してもらえるように書くのは自分のスタンスを考えると不可能だし(あと死ぬほど長くなる)、逆にわたしなんかが詳細を語ることにおこがましささえ感じてしまう。
最近はお題とかに参加したこともあって、該当記事に関してはcali≠gariというバンドを知らない人が読んでも分かってもらえるように…と伝聞や客観的事実を交えつつ書くようにしたけど、やっぱり一人でワーとかギャーとか可愛いーとか尊いーとか大声で言ってるのがブログの一番の醍醐味だと思っているので難しいところである。


だから個人的には、そういうライブ「レポート」だとか雑誌に掲載される「記事」に関しては、正直私情というものをあまり挟んでほしくはないと思っている。感情は、ぶっちゃけてしまえば多分どこででも読める。だってわたしも書く。想像も出来る。翔さんのツイートの「当然客観性や平等性も織り交ぜつつ」という部分を徹底したものこそ読みたいと思っている。

まあでもなんだ、ファン層とかもあるとは思うけど、バンドというのは基本作品をつくることに加え、披露するということが必須なわけで、ロックというもののパブリックイメージを考えても確かに公私混同で愛されてこそのジャンルだというのは納得はいく。公だけで愛し私では愛さない、公は愛さないが私では愛す、というのは心情として難しいだろうし、ハッキリ分けてしまったらそれはそれでどことなく失礼な気さえする。ただわたしが言いたいのは「お金を払って読むものかどうか」「公的に提示されているものかどうか」というところのボーダーラインに、同様に公私を線引きしたいということなんだ。


インタビューや記事で、ライターに対して不快感を覚えたことが、実はある。
好きなバンドの記事を読んでいて、(あ、このライターこのバンドのこと好きじゃねえんだな)と感じる・或いはそういう疑念が浮かんでしまうような文章に当たったときのことだ。そして、話の方向性をいいように操縦しているな、と読んでいて気付いてしまう記事。文脈によるけれども、バンドマンの発言よりインタビュアーの発言が意味深長で多いと、それだけで(…ん?)ってなる…というのはさすがに気にしすぎだろうか。

もしかしたら仲が良いことによる軽口なのかも知れないし、操縦するのは裏方における定石なのかも知れない。だけどそんなことわたしという読者には関係無いと思った。わたしが読みたいのはインタビューを受けているバンドマンの話であって、インタビュアーの話ではない。バンドマンとインタビュアーの対談でもない。読んでいて気持ちが良い感じがしない…という体験があった。
その後いくつか媒体をチェックした結果、職権乱用に見えてくるところがその時点でダメ、中継ぎという立場である筈なのに自分の趣味や主張を前面に押し出してくるところがイヤ、バンドごとに明らかに好き嫌いのバイアスがかかっているのがムリ……と散々なことを思ってしまった。うーん、私情。それこそわたしの私情である。
ただ同時に、好きなバンドが被ればきっと情熱のある最高に良いライターになるんだろうな、とは思った。


ライブレポートというのは非常に難しいと思う。わたしも何回かライブ感想を書いてはいるが、あれは完全に感想で、主観のみで出来上がったものでしかない。毎回毎回「レポではないですよ!」なんて断っている。
以前、cali≠gariでもライターさんが急病だとかでFC会員にライブレポートを募ったことがあった。やはり文章を書くのは好きだし、掲載なんてことになったら超ヒャッホーだし、挑戦しようかなーとぼんやり思ったが、すぐに「冷静に考えろ、わたしには無理だ」と思い直した。
客観的な視点というのは非常に難しい。それは他人にとっても難しいものなのだろうか?わたしはとにかく性格的に、性分という面で難しい。大学の論文やレポートでも相当苦労したし、「学問とは」「学問として」というところに相当悩んだので、今でもいやあよく大学行ったよね~なんて思ったりもする。レポート重視の授業の成績はあまり良くなかった気がする。昔から感想文だけが褒められたタイプだった。なので考察はお察し。案の定理系科目はダメダメであった。
だから「客観性や平等性も織り交ぜつつ、努めてクールに」ということがどれだけ難しいかを考えると、ブログでライブの様子がよく分かるレポートを書く人はすごいと思うし、ましてそれで飯を食っている人はどんだけすげーんだ、なんてアホ面で思ったりする。

TLで見かけた某音楽系サイトのイベントレポート…ではなかったな、あれは評論に見せかけたただの感想でした。あれを読んで憤ってた人の気持ちは分かる。ライブの様子が少しも分かんないわ、というのも頷ける内容だった。もしかすると書きものの依頼がそもそもそういう方向性で書いてくれ、ということだったのかも知れないので、そこらへんは何とも言えないけれども、このライターさんはまたおんなじことやってんだな、なんて思ったりした。
ざっと流し読みしただけだが、もしもあれが本当に「ライブレポート」と銘打って掲載されているものなら「ライブレポートとして成立しているか」を考えながら読み直した方が良いよ、と思った。失礼だけど。失礼なんだけど。

勿論知識量や触れてきた音楽、実績なんかはわたしが批判なんて出来ないほどすごいものなんだろう。
だけどわたしはお金を出してまで不快感を味わいたくないし、平等性に欠けているなあなんて思ってしまうような文章を、不特定多数に向けた公的なものとして読むのにも辛さを感じる。
それに、一度苦手意識を覚えると、次から素直に読めなくなるんだなあこれが。

今度出る雑誌に掲載される好きなバンドマンのインタビューもそのライターが担当するということで、多分わたしが好きなバンドマンはそのライターのことを気に入っているんだろうなあとは思うのだけども、やはり少々不安に思っている。特にその雑誌はバンドマンの「人柄」とか「背景」とかをまなざす傾向があるものなので余計に不安である。
作品に関するインタビューだったらある程度訊くことは決まっているし、答えることも予想がつくからすんなり読める。そこでは知識や実績が活きるから、「あのバンドの音に似てますね」「ルーツは◯◯というバンドですね」なんて情報には素直に感心するし参考になる。
だけど、バンドマンの人格やバンドそのものの関係性とかに触れる記事となると、そこに押し入ってくる「私情」はあまりにも個人の人間性が出すぎてしまうので、なんというか読んでるこっちもちょっと熱くなってしまうのだ。
本来「バンドマン⇔わたし」という1対1で行われる筈の価値観の擦り合わせが「バンドマン⇔インタビュアー⇔わたし」の3者で行われることになるので、それはもう大変にややこしい。

仲が良いというか、気を許している関係だからこそ聞ける話もあるとは思う。その人にしか訊けないこと、その人にしか話せないこと。そこに期待する気持ちもある。だけど出来れば仲介として、空気になれというと言葉が強すぎるが、せめて裏方に徹してほしいだなんて思ってしまう。その人を映すカメラであってくれと。
わたしはそのライターの文章だから読みたいのではなく、あくまでも好きなバンドマンの証言だから読みたい。見た感想や心情ではなく、その場のことを情報として知りたい。そう思って雑誌を買っているし、Web上の記事を読んでいる。
公私を共にした熱量が素晴らしいライブレポートを生み出すのは分かる。だけどプロに恒常的に求めたいのは、公私混同の愛情ではない。分け隔てない敬意だ。
というのは、勝手で酷なんだろうか。






そして全然関係無いけど岡野昭仁さん、誕生日おめでとうございます。