疾走

長文ポエマー地下室バンギャル

11月7日






やっと終えられる

やっと終わる



やっと







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本八幡Route FourteenからJR本八幡駅までの1本道を、殆ど泣きながら帰った。マスクをしていたのは金髪のウィッグを被った醜悪極まりない自分を直視したくなかったからだけど、最終的に泣いてるのを隠せるからしてきて正解だったなと思った。勿論あんなに泣くなんて予想だにしていなかったけれど。
昔から外で涙を我慢するのがとても苦手だ。特にライブの後は最悪で人目を気にしながらもどうにも涙が止まらない。本当に悪い癖だと思っているのにここぞとばかりに溢れて溢れて止まらなかった。更に悪いことに止めないほうが良いような気さえしてしまった。11月の始めにしては少し暖かいような、けれど強く吹けば冷たい空気を切って不乱に歩いた。
5分もかからないであろう短い道で延々と、決して幸せではない「もう充分だ」を嵐のように思った。
もう二度と誰も、何も好きになりたくないと思った。どんな気持ちかも自分でわかっていなかったくせに、こんな気持ちになるくらいならと古びた言葉が駆けずり回って、すれ違う人たちの誰の顔も見れずに、自分の踵の鳴る音を聞き続けてた。

嵐のように、という形容があんなに相応しいことももうないだろう。あたまのなかを、からだじゅうを、文字にならない言葉が、言葉にならない感情が、感情にならない衝動が、湧き出ては消え消えては湧き出て、それら全部が涙になって、ありとあらゆるものが正しい気がして、そして何もかもが間違っているような気もした。自分のことしか考えられなかった。目の前のすべてが夜に見えた。


何よりも好きだった。人生なんて、と、本気で思った。擲てると思った。それほどの、もう自分では止められなくなってしまった如何ともしがたい万感の、万感の想いを込めてただ一言、好きだ、と思った。自分が感じ得るすべての気持ちを込めて好きだと思った。自分でも異常だとは自覚しながら、それをずっと自分の光と窓と扉にしてきた。このバンドがもし無かったら、と思うと自分が歩いて来た道の薄ぼけた暗さが深い深い闇になる。


走馬灯も回らない思い出だった。何も思い出せないくらい全部眩しかった。




初めて8期のcali≠gariを格好良いと思った。
もしもこれが本八幡ではない場所で、金髪限定ではなく、誕生日でもなければ、わたしは多分そうは思わなかったような気もする。それは分からない。
フロアが揺れる、音が壁を震えさせる、音響外傷になるほどの爆音の箱の、人人人の中の手と手と手の間からそのひとが現れた瞬間に、ボロボロ涙が出てきた。くだらないと思った。ずっと思ってた。そして、ああこのひとだよなあと思った。
2時間ただボーっと見ていた。楽しもうなんて気は多分更々無かった。そもそも金髪のウィッグを被っている時点で気持ちは萎えていたし、なんせFCチケットではないので整番も相当悪かったのだが、それだけで説明が済むようなものでもなく、むしろそんなことは二の次でしかなく、最後になるかも知れないから見届けようという気持ちが何よりも念頭に立っていた。ほんとうは、最後になるかも知れないという刹那的な思いは初めてライブに行ったときからずっとわたしの中にあり続ける黒ずんだ重い石のような懸念だった。その懸念がどんどん質量を増していく。それがわたしにとっての第8期だった。

セットリストだとかMCだとかを考えても、その場にいてしか分からない雰囲気を見ても音を聴いていても、すごく良いライブだと思った。なんせ格好良いと初めて思ったくらいだ。ああ、cali≠garicali≠gariのままだったんだ。何にも変わっていなかった。本当はずっと格好良かったんだろうか。常に暗澹とそこに佇んでいた恨みがましい未練のようなものを瞬間忘れて、そうしてやっとあるべきところに収まった気がした。腑に落ちたのだ。この間読んだ雑誌で言っていたことはこういうことだったんだなあ。永遠に分かってやれないかも知れないと思っていたことが数日で覆されてしまった。

それを分かりたかったのかと訊かれたら、わたしはなんて答えるだろう。


終演後の物販に初めて行った。長い長い数年の中でほんとうに最初だ。あれだけ無理だとか行きたくないとか自分の姿を見せたくないだとか言っていたのに、今日を逃したら多分一生無いなと気付いてしまってた。

…そんなこと言わせたいんじゃない。なかった。なのに結局言わせてしまって、言わせるしかなくなって、そうなってしまうだろうと分かってたけど案の定そうなってしまって、やっぱり言わなければよかった物販なんて来なければよかった勇気なんか出さなければよかったんだと、呼吸が詰まるほど後悔して、なんかそれで、そのことだけで、ふとすべてにああもうだめだと思ったんだ。

ただ伝えたかっただけなんだ。嬉しいと、ありがとうを。だけどそれが叶えられなかった。しょうがない、そんな殊勝な気持ちに付き合わせるなんて親しくたって難しい。だけど、やっぱりわたしが持っている声は、わたしが持っている言葉は、誰かに何かを伝えるためではなく徹頭徹尾自分の為のものに過ぎない。勇気を出して面と向かってすごく嫌だった自分の姿を晒してまで、そうまでして聴いてほしくて、届いてほしくて、出来れば汲んでほしくて、ただ伝えたくて伝えたくて必死に零した言葉も、結局は全部自分の為のものでしかないのだと思うと本当に苦しい。

ずっと、好きの行方がどこなのか考えてきた。どんな好きでも多分同じで、恋愛だろうと友情だろうと無関係に、何よりもわたしの芯を形作ってきたこの気持ちは何なんだろうとぼんやり思ってきた。今気付いた。わたしは、わたしがあなたを好きでいることを、あなたに喜んでほしかった。ああ本当に馬鹿みたいだ。少しでいいから喜んでくれたらと思いながら好きでいつづけた。なんて気持ち悪いんだろう。浅はかなんだろう。本当に無駄だと思う。それは多分、見返りを求めたということに他ならないのだ。

だからもういいと思った。もう充分だと思った。
ほんとうはもうもらいすぎなほどもらっていて、だけど、もっともっとほしくなってしまって、そうしていつしか傷ついて、苦しんで、怒って、罵って、泣いて、だけどどうしようもなく幸せな思い出があって、何があっても作品だけはずっとずっと優しくて、絶対に裏切らなくて、最後は好きでしかない。本当に自分では止めようがなかった。たかが趣味のくせして、たかが片手間のくせして、だけど、誰に否定されても馬鹿にされてもわたしにとっては宝物だったんだよ。




この国の心臓に停まる各駅停車の新幹線の、ある車両の最後尾の夜の窓際で、くらくらと正体を失いながら、わたしはその宝物を捨てようと思った。