疾走

長文ポエマー地下室バンギャル

♪:ひらひらとんでる。






昨日住民票取りに役場まで行ったんだけどちょうど時間被って帰宅途中の小学生に混じって一緒に歩いた。でもわたし一応女で良かったよ。この歳の男が小学生と一緒に横断歩道歩いてたら怪しまれちゃう世の中だよね…




出だしとは一切関係無い「うーん」な話で失礼します。
MERRYのファイナル見て思ったあれこれ書きます。嫌な予感がしたら避けてください。

最早バンギャルも余生な感じするわ。




夢にネロが単独出演してきていよいよだな、と思いました。ものすごく戒律に背いた気分です。でも分かりやすく願望というかむしろ欲望の現れた夢でほんとわたしはたった一言で落ちるやっすいバンギャルだよちくしょうwwww
浮気はしないけど乗り換えはする…なんかもう代わりなんかじゃないとか言えないじゃん?あんとき「次はこっちかよとか言われたらぶっ飛ばす」くらいの気持ちでいたけど今のわたしはあのときのわたしにぶっ飛ばされるね。でもそれでいて本気にはなりきれないもんがあって、理由もいくつかあって、結局最終的には自分で箍を外す気がもう無いってことだ。しんどいからなあ。
だからめっちゃラクではある。ラクだから今すごく楽しくバンギャルしてる気がする。夢中熱中の闇雲で猛烈な幸せはないけど、その分辛さしんどさ義務感みたいなものもあんまりなくて、気楽で気ままな楽しさだけがあってすごく楽しい。春からは行きたいときに行けることはなくなるけど(ガラネロのプロデュースクッソ行きたいけど多分ムリだわ)、行けるときに行けたらと思うのがこんなに楽だなんて思わなかったわ…

殊勝なことを書きたい気分なので、怒られそうですがこないだファイナルで感じたことをぼろっと書いてみます。

Unreachable voiceを聴いたときに、言葉を選ばずに言えば「利己的だなあ」と思ったんですけど、以前インタビューでガラが逹瑯に「ムックは開いてるけどMERRYは閉じている」と言われたということを仰っていて、そのときはえーそうかなあそんなことないけどなあと思っていたんですがこれ見てうーわめっちゃそうだなと思いました。まあUnreachable voiceがどういう曲なのかっていう捉え方の問題でしかないけど、わたしは大変に個人的な曲だと思って、この個人的な曲をあの感じでやっちゃうのを目の当たりにして開いているとはちょっと思えなかった。ファイナルだったから尚更そう思ったんだろうね。EXシアターで映える曲だとは思えなかった。そして全員がそれを良しとしているであろうことがやっぱりなんかこうおや?と思ったんだ。
かと言って開けたムックのライブって実は少し苦手なところもあって(だから多分FCにも入らなかったしあんまり頻繁に通っていないんだとは思う)、閉じていることが一概に悪しとなるわけではないのだけど、これ見てあーわたしは一体何を感じたらいいんだろーとは思った、まあ自分のね、性質的なもんが1枚どころか2枚も3枚も噛んでいる可能性の方が高いけれども。
だけどそういう閉じているところを見て、いつしか振り落とされていく人間というのはいるだろうなと思って、なるほどこれが逹瑯が言ってたことか、とはなんとなく理解した。たった一人の人間の表現とか感情の1本でどこまでいけるんだろうって考えたときに、それを実現するには多分よっぽどその人が稀有な生き物でなければ成り立たないだろうとは思った。だから何だろうな、「一人の男」感がよくなさそうだなと思った。それは異性とかそういう意味ではなく人間的な意味で、だけど人間といってしまうと良いように解釈出来てしまいそうなので男と言わせてもらう。
わたしが見てきたライブでは閉じているだなんて一切思わなかったので、まあそもそもそのインタビューが相応に古いものなので、なんらかの意識とかがなされた後にわたしがライブを見てきたんだろうとは思うけれどもファイナルでこう来るかと思ってそこは少し驚いたし、まあなんだ、正直な話ちょっと引いた。どうだろう、わたしのアレルギーの問題なのかも知れないけど。ていうか8割方そうだけど。

あくまでもわたし個人の感想だけどcali≠gariっていうか桜井青の何が良かったかってやっぱり共感の余白がかなり取られてたことだと思うんです。具体的な場所や年代や事象を示す言葉が極めて少なく、だけど誰しもが体験する季節感とか心情とかがすごく大胆でだけど脆いほど繊細だった。勿論東京とか新宿という言葉は使われてたけれども、新宿はともかくとして東京は多分誰しもが体験するもののひとつで、「その人しか分からない」だけで終わらないところがある。多分みんながその人の「東京」を持っていて、青さんには青さんにしか分からない「東京」もあるのだろうけれども、そのたくさんの「東京」の上澄みだったり澱みだったり共通点をいつの間にか浚っていくのが青さんの歌詞だと思って見てきた。だってさすがにわたしには「新宿から2つ目の駅」は無い。
結局好みとか人のタイプとか性質のカテゴリ分けの問題なんだろうけどやっぱりわたしが相当に没頭したのは「自分のことを歌っているようだ」という錯覚を起こしたからで、あるいは局所的なことを歌っていたとしてもどこかに余白があったからで、あるいは完璧に理解出来なかったからで、だからみっともなくしがみついていて、そこで自分のことだとか自分とはまったく関係の無いことだと思わなかったらそんなに熱心に見られないんだ。共感とかそういうものが出来そうで出来ないのがものすごくもやもやしてつらい。

勿論それが悪いんじゃない、非難したいわけじゃない。それが良いと思う人もそこに共感出来る人も当たり前にいて個人差でしかなくて、それをわたしが攻撃していい理由なんてあるわけが無い。利己的という言葉は強いかも知れないけどそれがイコール悪ではない。そうじゃないとバンドなんて出来ないだろうなって外野から見てて思うし、その「己」の部分に惹かれてこそ本命って出来るものでしょ。ただわたしにはそこが「分からない」。分からないけど、分からないからこそ面白いと思うこともあるし、分からなくて振り落とされることもあるから、だからMERRYって難しいバンドだなって思った。あくまでも全部自分にとって。わたしがバンドを見る上で一番重視してしまうのってやっぱり歌詞だから、そのメインの作詞者と好みや性質のカテゴリがそもそも異なっていたら恐らくどうしようもないのだ。勿論幅はあるけれど、イメージとして固まるとなかなか解けない。
まあそんなこと言いながらラストの群青が良かったから何もかも許したっていうかここで自ら手放すこともねえなって思ったんですけどね。数は少ないけれど触れたインタビューとか本とかライブとか見るにそういう「閉じた」傾向って今は大分薄まってんだろうなと思うしそこで完結するつもりもないみたいだし、それは群青1曲だけで充分雄弁だったし。まあ裏を返せば群青だって結界の札なわけで、そこに入れない人を生む可能性のある曲だけど、そんでも一度入れば出られないのも結界であっていいわけで、やっぱり最後は良いバンドってところに落ち着いて次のチケットをイソイソ取るわけです。日程的に確実に行けるのがHEREとの対バンだけだったから一応申し込んだけどCrestがキャパ200と知って憤慨してるよおばさんは。

ていうかみんな普通はそういうの考えないのかな。どこのライン超えたらめっちゃ好きとか、そこ超えなかったからやっぱり微妙かなとか結界とかいろいろなんか好きに対して定義とか程度とか線引とかしすぎなのかも知んないわたしが。でもそうしないと自分の中でバランス取れなくて、あれもこれも全部一番好き、っていうのが出来ないんだ性格的に。一点集中しないとやりきれなくなる。「好きな人や物が多過ぎて見放されてしまいそうだ」なんて一度も共感出来たことない。

あと再三言わせてほしいんだけど、マジでMERRYはめっちゃくそ良いバンドだよ。FCも親切だしメンバーもファン想いだ(と思う)しファンもメンバー想いだと思うしいつもライブは楽しいしセトリも違うし曲も良いしいろんなところ来てくれるし、まあ不運というか事件は結構あるけどそれだけ歴史があるってことで、内側の居心地が良さそうで昔から追っかけてる人が羨ましくなったりもする。一途で真面目な応援したくなるバンドだ。今まで全く関心なかったのが嘘のように沼だね。まさかMERRYに頻繁に行くことになるなんてほんっとに思ってなかったんだからマジで!

ただ敢えて個人的になにかが足りないなーと思ってたところをちゃんと埋めるなら、上記のことも含めて「宗教性」って答える。





実は最初から最後までMERRYのことを「羨ましい」と思っていて、ずっとそう思ってきて、元々連帯感とか熱さとか一蓮托生とかそのメンバーだから出来ること、むしろもう「そのメンバーでいること」そのものに意味を見いだしたいし意味があってほしいという若干気色の悪い質なので、ライブを何回か見て、ラムフェスあたりからもしや今まで見逃していたけどMERRYはわたしにとって理想的なバンドだったのでは…と思い始めていて、ファイナルでそれに対するこれまた理想的な答えが出せれば良いと思っていた。見て、結局、「羨ましい」と思って、そしてそこで留まった。それでああわたしにはやっぱりあそこしかなかったんだなと思った。
MERRYが好きなバンドのひとつであることは絶対だけど、まだ「MERRYが好きだ」というところまではいかなかった。でもそれで良い、わたしがどうバンドを見ようと結局わたしひとりの問題で、これから見ていく中でまた変わるかも知れない。それに、いつか好きなバンドを訊かれて1番に出てくるバンドになったら良いなと思ったしなってくれる可能性があると思ったからこうしてライブに足を運んでいるのだ。好きの種類が変わったとしても。

cali≠gariに対して開いてる閉じてるを考えたことはなかったけど、今思うとあれは閉じているようで開いていたし開いているようで閉じていたんだろう。崇拝癖のあるわたしにとってはやっぱり搾取されるべくして搾取されていたバンドだったんだろうな。勿論見返りは充分もらったけども。
本命盤という猛烈に好きなバンドがなくなってしまったことに(なまじっか形を変えて生きていることもあり)無性に虚しくなったりもするけれど、やっぱりなんていうか自分でストラップにまで成形した青さんのピックって外せなくて、ていうか一度外したんだけどふと思い直してまたつけて、つまりそれが答えで良いのかなとなんとなく自分の中でけりがつき始めている最近です。
やっぱりわたしは7期のcali≠gariが何よりも好きで、青さんしかと思うところがあって、今をどう思ったとしても今後その思い出がわたしを支え続けるだろう。

春間近だなー。

今はのんびり気楽にMERRY見に行けたらなーと思っています。

冬も終わるからかほんとにバンギャル余生感ある。
アルバムが良かったらcali≠gariにも行けたら、と思うくらいには春です。日が落ちると寒いからどうなるか分からんけどな。