V.S.

ポエマー長文地下室バンギャル

永久不可侵でありたい






もぎゃーっ
ってなることたくさんあるな!


この記事は誰かのことを否定する意図は一切ありません。ただ自分のことを否定してるだけです。


男性が多いこの職場に来て初めて自分の体感として人と人が結婚するのってわたしが考えていたよりもずっと、それはもう本当に「人として」というレベルなんじゃないか?ってくらい、極めて普遍的なことなんだなあと思った。
アルバイト時代は女性ばっかのところだったので相対的に見ることがなかったんですね。結婚してる女性は勿論たくさんいらしたけど、結婚している男性というものを見る機会がなかったのだ。それを両面見て、一定の年齢より上で結婚している人のなんと多いこと。正直驚いた。勿論時代性とかもあるのだろうけれども。
なんとなくだけど自分も20代の女性というだけである程度は篩にかけられているのかもなあとも思うし、まあ(職場での未婚女性の割合がかなり低いこともあり)売り手市場ってやつ…なの…か…?なんてこともぼんやり思うし、なんだかなあわっしもそんな物差しの対象にのっかるんだなあおっそろしと妙な気持ちになったりもします。そりゃあ50代後半くらいの上層部のおじさまに「結婚出来るかワカンネッス」って言ったら笑われるし、そのあと「結婚は(みんな)するんだよ」って言われちゃうよな。その年代の方にとってはごく当たり前なんだろう。それは珍しく嫌な気持ちにはならなかったので是非とかはどうでもいいのだけども。
別に何にも憚りはしないので言うけどわたしの好みの異性のタイプはものすごくざっくり言うと「わたしに(なるべく良い意味で)興味が無い人」だし、結婚したいと思えないしましてや家庭は持ちたくないし、でも出来ればパートナーは欲しいし(それは同性でも異性でも構わない)、友人が結婚しても全然焦らないし焦れないし、ていうか来られると拒否する質の悪い反射神経が出来上がってしまって、そして何よりも酷い自己中なのでそもそも結婚とか出来る気がしないんだけどね。
あとこの期に及んでまだ趣味が楽しきゃ良い。自分の幸せって何だろうって考えたとき、そりゃああのバンドを命を燃やす実感を持ちながら追っかけてた頃こそ幸せだと思ったもんだけど、結局生活に困らない程度に稼いでたまにライブに行ってカーチャンとご飯食べていぬをモフって友達と遊んでこうしてだらだらブログで一人言くっちゃべってたらそれもかなり高次の幸せなんだよなあ。
添い遂げるという考え方が今の時代に見合ったものなのかは預かり知るところではないけれども、少なくともわたしにとって結婚とは契約であって、家族になって家庭をつくりお互い死ぬまで共に過ごさねばならないどころか死んでも同じ墓に入らねばならないといった「添い遂げること」がその契約内容であって、まあその考えが既に間違いなんだろうけど、やはりその重すぎる契約を結べるような相手と出逢える気がまるでしないし、だったらお見合いとか家の都合とかそういう割り切った場で出会うことの方がわたしの思想には合致するような気さえする。

恋人がいるとか結婚するとかそういう話を聞くと羨ましいと思うのだが、なにが羨ましいかって「自分が愛すること/愛されることはなんら不自然なことではない」と自然と受け入れられるのが羨ましいのである。愛とかいうと大袈裟なんだけども。でもそうじゃないとまともに他人と付き合うことなんて出来ないでしょ。わたしが友達や仲間を持つことに違和感も嫌悪感もないのは、「わたしに友達や仲間が出来てもなんら不自然なことではない」と自然と受け入れられているからだ。そこに何も疑問が生じないからなのだ。別に容姿とか性格とか相性とか人間性とかそういうことじゃない。もっと原始的な生理的な、本当の無意識下の問題で。恋愛面ではわたしはそう思えなかった。違和感と嫌悪感がすごかった。そんなつもりで接したんじゃないんだけどというある種の裏切りにあったような感覚もなくはなかったが、そんなことより自分が他人に女として好かれることへの拒否が凄まじかった。オエエ。
いやだってさー、わたしのこと好きになる異性って、控えめに言ってもただのド変態だし趣味がゴミでしょうよ…。
どちらをも大いに侮辱する拗らせすぎた言葉である。つまりわたしは結局信用していないし認めてもいないのである、相手のことも自分のことも。だからそこをなんとか動かしてくれるような人もしくはわたしが自分から動きたいと思えるような人がいたらいいよねと白馬の王子でも待つかのようなことを考えそうになるんだけど、わたしの恋は子供で宗教、憧憬と崇拝で出来ていて、それは相手を見ないこと相手に触れないこととほとんど同義で、それはずっと変わらないので、結局堂々巡りなのだ。
そして好かれることに対する違和と嫌悪がある所為で、好くことに対する罪悪感も生じてしまって身動きが取れなくなる。好きだなんて感情は時に利己的で暴力的だ。それを一方的にぶつけていることに他ならないのだ。そしてもっと単純な、わたしみたいなものがあなたを好きですみませんという卑下の心。だからわたしは謝りたいと思う。ほんとごめん。
でも好きなんだよね。そうやって開き直れるのは確実に届かない、響かない相手にだけなのだ。

好かれたら冷めるくらいならかわいいもんだろう。好かれたらドン引きする。相手のことだけならまだしも、いやまだしもってこともないが、なんせ自分のことすらめちゃくちゃ嫌いになる。気持ち悪くて仕方がなくなる。わたしの嫌いなわたしを好きなお前はどうしたって無理だよ。どうしたって無理なお前が好きなわたしなんてわたしは嫌いだ。だから向いてない。しょうがない。能力なのだ恋愛は。掘り出すことも出来ない深い深い根っこの部分に受け入れられるか受け入れられないかの明確な違いがある。誰の目にも触れないままその違いは育って大きくなる。気付いた頃には手遅れの、これはわたしがわたしを許せるまで延々続く、恐らく一生抱える問題なのだ。ああめんどくさい。

いや、どうしてこうなったかという原因はもう分かってんだけどさ。分かったところで根深くてそうそう解決出来ないもんだね。