疾走

長文ポエマー地下室バンギャル

♪:さよなら、スターダスト









夏の終わりはいつだって憂鬱







クッソどうでもいいけど地味喪女のわたしも恋というものを1回だけしたことがあって、まあ死をも恐れぬ中学2年生のときだったのでいろいろアレなんだけど、夏の終わりの象徴8月31日ってその初恋相手の誕生日なんですよねクッソどうでもいいけど。ただどうでもいいもののなんとなくずっと忘れないもので、日付を見る度にああそういえばそうだったなあと死んだ思い出にめぐらす何かがあるわけです。

いつぞやの、というかまあ2014年だよね、隠す必要も無いよね2014年の夏は、夏が終わるのが怖かった。夏が終わるのはいつだって切ないししんどいし息が上がるような思いをするけど例年の比じゃなかった。そんな9月がまた来てしまいました。何年も何年も前のことのような気がするのにきっと何年も何年も経ったら今とは違う感じ方をするであろうことにまたちっちゃい絶望を感じる。今は大丈夫。昔は、それこそ大学時代は濡れたティッシュみたいなメンタルで何かある度にもうだめだしのうって一人暮らしの部屋の中でまずいうどんすすりながら(生きる気マンマンである)泣いてたし14年のそのときはそのときで焦燥感と不安に手の甲ガリガリ掻きながら泣きながらキーボード打ってたけど今は大丈夫、もうあんまり泣かない。泣いたとしてもあれほど落ち込まない。防御力と忘却力が身に着いた。いいことなのかそうじゃないのかはわかんないけど。もう歳かな~~~~

命より大事だった、といっても過言ではないものが、まあそれは自分の命を非常に軽んじていたから言えることでもあったんだけど、そういう命より大事だと思ったものがもうだいじではなくなって、オオゴトでもなくなって久しい。久しいと言えるほど時間は経っていないけれど、それこそ逆精神と時の部屋(これ通じるかなあ?)って感じでそんなに経ってないのに大昔のように感じているんだけど、いやこの一節要らないんだけど、ああやっぱりダメなんだな、とぼんやり思った。ごめんなさい。多分、もう素直にうなずくことはできないだろうと思う。
わたしの中に許さないことで果たされる何かがあるんだろう。
それはきっと仕方がないことだ。忘れないことで、恨むことでわたしは多分こうして泣かないでいられるし、落ち込まないでいられるし、どこも折れないで普通に毎日仕事に行けるんだろうなと思う。ほんとにすべてを被ってくれている。多分まじで枕元立ってる。

去年の9月に書いたうらみつらみあらいざらいたれながしたものをこの頃何度も読み返す。よく書いた。ほめてやりたい。誰にもほめられないからかわりに。よく書いたよ。これだけ抑えて、つとめて冷静に、だけど全力で、泣きながら、よく書いた。
夏の終わりになるとさよなら、スターダストが聴きたくなる。わたしの人生の、いちばんの時期だ。ライブが終わってしまった憂鬱をなんとかして抑え込み待合室での退屈な時間を押し流して夜行バスに乗りこむんだ。どこからかは分からんけど都内の高速を入り、空を埋めるようなビル群と夜にしかないネオンの水彩から遠ざかっていくとき、必ずさよなら、スターダストを聴いていた。深夜の冷たい窓とカーテンの隙間で、いろんなことを想って泣いた。
わたしはあのとき欠けてほしくなかったのだろうか、と、今日あの頃は出来なかった車の運転をしながら考えた。欠けてほしかった、なんてことは無い。口を裂かれてもそんなことは絶対に言わないし、思わない。それは言うまでもないことだ。だけど、じゃあ、欠けてほしくなかったか、と自問したとき、出て来た答えは結局「分からない」だった。わたしは今でも、きっと現状を完全に否定する言葉を吐けないんだね。あんなにうらんでいる癖に。亡霊どころか怨霊な癖に、それでも根っこを引っこ抜いて裂いて燃やすようなことは言いたくないのかも知れない。決めたことを否定することが出来ないのかも知れない。それが、わたしが死ぬほど好きだったあのバンドを拒絶する言葉でもあるからなんだろう。

言いたくないのに、見たくもないのに、だけど、ずっと、ずっとこうして振り返っては思いつくままに書きなぐる。たぶん来年も、再来年も、そうなんだろう。宛てるわけでもなく、捨てるわけでもなく、ただただこうして書きなぐるんだ。なにも生まれなくても。
そうして生きていく、思い出が杖になってやっと歩く。ああ、良い曲だなあ、さよなら、スターダスト。青さんはすごいなあ。やっぱ好きなんだよなあ。うらんでるけど。うらんでるけど、好きだ。好きだった。大好きだった。笑って泣いて、楽しくて辛くて、嬉しくて怒ったことが、全部、全部あのバンドにあった。全部、あの夏の終わりと一緒に、終わった。