疾走

長文ポエマー地下室バンギャル

ぼくたちはいつから










♪:さよなら、スターダスト


作家本人の言及がある作品は幸せだなあ、となんとなく思うよ。


この間の記事がバズりたくさんの人に見てもらえて、エゴサしまくって覗いた感想はありがたいことに概ね好評で、何故かは分からないがそれで憑き物が落ちたようにわたしはスッキリと、あるいはぼんやりとあのバンドのことを思い出さなくなっている。恨み辛みを言わなくて済むというのは我ながら助かるというか、まあ助かる。本当に助かる。あれは言いながら自分でもしんどいものだよ。言わずにはいられなかったということはもう言い訳にしかならない域まできたから、やめておこうと思う。

作家本人の言及がある作品はある意味幸せなような気がする。作品はどこまでも作家の傘の下にいながら作家から離れるものだから、その作品が作家本人に認められようと認められなかろうと言及がなかろうとわたしの作品に向き合う姿勢が変わるわけではないので大した問題ではないのだが、それでも「気に入ってる」と言及があるのは、やはり嬉しいことだ。
作家と作品は親と子に例えられることが多いけれど、それでは必要充分すぎる気もして。過ぎたるは猶、ってやつね。親に否定されても子は生きていくという言い方をすると、何だかちょっと重くて悲劇的で。違う。もっとあっけらかんとしたものだと思いたい。作家の意図を離れられない作品なんて、受け取り方にも誰かの許可が要るじゃないか。そんなのは嫌だ。

5年前になった。5年が経った。懐かしい、と言うべきかは分からない。でもまだはっきり覚えてるよ。前日の昼間のカーテン越しの日差しの明るさ。早朝に自転車で下る松本城の横路。何もない新木場駅での待ちぼうけ。グッズが阪神タイガースみたいだなと一人笑ったこと。あの暑さ。ただ、好きだったこと。ツアーと言えるかも分からないくらい短いツアーだけど全部行って、どこもかしこも楽しくて、馬鹿みたいに終わりが怖くて。

あの頃がいちばんに好きだった。ずっと好きだったけど、あの頃がいちばんに楽しくて、好きだった。

わたしも夏になると聴きたくなります。恋が出来たらもっと違う響き方をしたのかも知れないけれど、わたしはわたしに固執したいから、やっぱり作品は作家を離れてほしいなと思う。良い曲だね。たくさんの想いを乗せてまだ流れ続けるスターダスト。わたしの住むところは都会じゃないから叶わなかった願いはきっと星になんてなれないけど。
思い出せないことさえ思い出さなくなっていても、気温の変化を感じたりカレンダーを見てああそういえばと気付くことが出来るから、それを多分想い出と言うんでしょう。



「さようなら」という日本語の響きがとりわけ美しいと言っていたけれど、わたしにはまだ、それが美しいとは思えないよ。