疾走

長文ポエマー密室バンギャル

奇跡なんかじゃない








静岡のレポ紛いが書けないままに岐阜を迎えてしまいそう…南無三…




今まで生きてきて自分にとっての一番が変わることは何度かあったけど、新しく何かを好きになるという感覚はあまりなくて、どちらかというと好きなものを新たにするという方がずっと正解に近い気がする。そして好きなものイコール自分を表すもの、と信じて疑わなかった自分にとって好きなものを新たにするということは自分を刷新することとほぼ同義で、だからこうしてむにゃむにゃ悩んでしまうんだろうなと思う。
別に生きてりゃ嫌でも変わるわけで、一度受け入れてしまえばそれもまた乙かなとか言いながら茶でも飲めるんだろうけど、やっぱりそれを好きだったときの自分をとても気に入っていたからなかなかすんなりとは認められない。だから悩んだり憤ってしまうのもしょうがないとは思うんだけど。

好きなものとか自分を表すものへの固執をやめるのはすごく難しいし、怖いことだなとまだ思う。それを手放したら何を以て自分が自分だと証明すればいいのか、もっと言えば、何を以て自分を肯定すればいいのかが分からなくなるんだよね。証明はしなくても生きていけるかも知れない。だけど、肯定出来なければ生きていけない。それを好きな自分だけは好きでいられるという感覚はいつだって得難いものだし、好きなものに触れているときだけは自分を嫌いだとか殺したいだとか思わなくて済んだ。


でも最近、なんかもういっか、なんでもと思うようになってきた。前髪を切られすぎたことも、持ち物が青一色ではないことも、通うバンドが変わったことも、別にいいかなって。誰に許可を取りたいって、自分に許可を取りたいだけだ。

固執や執着が全て悪いことだとは思わないし思いたくないから、自分が納得出来るまで迷って、どこかであっさりと掬われて晴れるまで、何度でも繰り返せばいいかなって。




というわけでいつも通り前振りが長いですが、静岡の感想が完成する気配がないので今まで書いてた中からどうしても上げておきたいとこだけ抜粋しました。静岡ライブで生まれたクソポエムが以下になります。これが本題です。
ポエムに罪はない…ポエマーが罪人なだけだ…

「わたしひとりいなくても」バンドは勝手に進むけど、「わたしがそこにいたい」かどうかがファンとしての線引きだと思うんです。


いっこ記事で書きましたが(http://volti-subito.hateblo.jp/entry/2017/09/25/%E9%96%83%E5%85%89)、ほんとに我が推しネロさんのライブ後のインスタグラム素晴らしすぎません?

なんかね…もうね…ライブに行く理由って言葉にすればいくらでも思いつくと思うんですけど、そんなかでもわたしはかなりの割合で「つまんねえ日常を壊してよ」っていう願いのもとにMERRYに行ってるのでね…それを本人側から言われたらもう…ルパンダイブするしかないわけですよ…次の現場に…

勝手に想像すんのもなって思うけどもしかしたらバンドマンにもつまんねえ日常というのはあるのかも知れないし、我々が(なんて主格気取るのも烏滸がましいけど)バンドに救われているように、バンドがファンに救われてる部分もあるのかも知れないよね、美談ではなく
そうだったらそんなに幸せなことはないじゃないですか
私が楽しいことがあなたにとって嬉しいことなら、私が笑ってあなたが笑ってくれるなら、そんなに幸せなことはないじゃないですか
ライブハウスの中は驚くほどそれが叶う場所だと思うんです。

めっちゃ楽しくて格好良いライブを見終わってライブハウスを出た後、暫くはマリオのスター状態になるのね。わたし無敵!みたいな。今なら誰にも負けない!てか戦わない!世界平和!みたいな。そういう感じになるんですけど、どうせ時間が経てばいつもの苛々したしょぼいわたしに戻ることはわかっていて、翌日からの楽しくはない仕事に備えて早めに寝なきゃいけなくて、もうそんなんハイパー憂鬱なわけですよ。次のライブまだかなって、また地味でつまんなくて滝のように流れる毎日始まっちゃうなーやだなーって。泣きたくなるけど泣きたくない毎日がまた始まっちゃうんですよ、その夜が終われば、また朝が来れば。そこをさー、あんなふうに押しつけがましさとか微塵も感じさせないで、あんなに優しさに溢れた「頑張ってよ」言われたらもう頑張るしかないじゃん?正直泣きそうだったよね。やっぱ泣かなかったけど。
ああこのバンドはちゃんとそういうとこも分かってくれてるんだな…寄っ掛かってもいいんだな…って思えて…

ライブに求めるものとかそのバンドに求めるものってどこまでも自分本位でしょ。応援したいってのもあるけど押しつけがましくも偽善的な他人本位にもなりたくない、義務感とかももっての外で、自分が行きたいからという理由でしか行きたくなくて、勝手に要求して勝手に貰って勝手に幸せになるっていうのをずっと繰り返してる。結果的にはwin-winかもだけど、やっぱこっちは不特定多数の魑魅魍魎だからさ。分かんないわけよ。在るべき在り方とか。それがあるのかどうかさえも。ないと思いたいけど、マナー云々、理想のファン像云々、在るべき在り方を語られる機会なんてごまんとある。是非や可否は別としてただ一方的に求めてるだけだななんて思うことも結構あって、どうしたって一方的ってことに虚しさを覚えるときもあるんだけど、それをこうやって「求めてもいい」「あなたが求めてることを叶えてあげる」って向こう側から言われるのはもう…さあ…
「許される」ことなんてね、なくて…
わたしがライブに足を運ぶ理由と、バンドがライブをやる目的のひとつが合致すること、一方的ばっかりじゃないことがちゃんと言葉になって証明されることなんてもうさあ、ねえ、ないわけよ、ほんとに!

だからすごくよかったというか…なんていえばいいのかな…嬉しかったなあ…うん…嬉しかったよあれは…スクショとった…2枚…

嬉しいでもあるけどもっと相応しい言葉があるような気もするんですよ…だけど…うーんあんまりうまく言えない…
ただなんかすごくこう、よかったなと思ったんですよ、ありがたいことだなって。幸せなことだなって。


「いつか終わってしまう」ということは7期cali≠gariに通いながら常に頭にあって、それがあまりにも怖くて怖くてライブ後に泣いたりして、そうして3年前に現実になってしまったけど、今はあんまりそういうの思わないようにしている。それは言霊とかそういうことよりむしろ、なんというかMERRYはいつも「次」の話をしてくれるし心配をしなくて済むように頑張ってくれてるのが分かるような気がするからです。
好みが変わったのかも知れないし、あの頃と同じ温度速度明度になれるかっていったら多分それは限りなく不可能に近いことで、歴だって浅くて全部好きだとも言えないけど、未だにMERRYに通ってることに自分で不思議になるほど7期cali≠gariがめちゃくちゃなほど好きだったんだけど、ライブハウスは愛で溢れててほしいから、幸せな場所であってほしいから、わたしは今はやっぱりMERRYを見ていたいと思う。

わたしは「約束」が欲しいんだなってのがよく分かった。
「いつまでやれるか分かんないけど」とか言わないでほしい、そんなことこっちは身にしみている、いつだって戦々恐々として、怯えながら耐えてることなんだよそんなことは
だから、結果的に破ることになったとしても守れなかったとしても、今はただ、今はせめて約束をしてほしい、次を言い続けてほしいんだ。

気持ち悪くても下らなくても言わせてほしい、わたしはファンとしてバンドに必要とされたい。必要とされたいんだよ。




以上ライブ後の沸いた頭で書きなぐったクソポエムでした。
6月や8月にもライブ自体は参加していましたが、何も考えずにそこにいて楽しんでいればいいライブって3月以来だったので、もう半年空いてたんですよね。
その間に買い物依存みたいになったり理不尽に怒鳴られたりストレスで発狂しかけたり呼吸が出来ないレベルの背中の痛みを経験したり(今振り返ってもそこそこ悲惨)したわけですが、静岡にて久しぶりに帰って来た!って思えるライブを経て、正直かなり調子が良いです。体調も心調も。すげー楽なんですよ毎日が。逼迫してなくて。だからこそこりゃーすげえ療法を再発見したもんだとばかりに日帰り長野をぶちこんだりしたんですけど、それでやっぱ、あーMERRYはほんと良いなって。
MERRYを好きと言うことにまだ難しさがあるのなら、MERRYのライブがめちゃくちゃ好きだってことは言っておきたいわ。別に誰かに伝えたいとかではなく自分に言っときたいって意味ですけど。MERRYのライブめっちゃくちゃ好きだわ、ほんと充足度が高い…



好きな気持ちをずっと継続出来ないことは好きなものをアイデンティティーに容易くすり替える自分にとって白か黒かで言えばどうやったって黒だった。だから何度も何度も言葉を塗り重ねてきて、元が何だったのかも何色だったのかも分かんなくなっていったけど、あの言葉を見て、ああもしかしたらあっさりと、嵐のように掬ってくれるのかも知れないなって思えて、だから、受け入れても変わっても認めてあげられればいいなと思うんですよ。3年間ずっと迷って悩んで憤ってきたけど、必要とされてないと思って嘆くよりわたしが必要としたいところへ行けたなら、きっと過去のこともまた大事に思えるよね。その頃の自分や並走する自分とも和解出来るよね。

固執や執着をやめることはまだ怖いけど、もう帰れないことは分かってるから、せめて今は。


あの頃とは違っても、わたしはわたしだといつか肯定出来ればそれが正解になってくれるよね。