疾走

長文ポエマー密室バンギャル

♪:梟









傑作よな梟

記事の中身はゴミ虫です




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福井の後、なんだかおかしくなってコンビニに寄ってお酒を買ったんだけど、買ったお酒がほろよいのホワイトサワーってところが最高にダサいわたしです。
元々両親共に飲めない下戸のサラブレッドなので濃いめのカルーア1杯で2回くらい吐くんですが、なんだか無性にどうにも飲めない酒を飲むとかそういう陳腐なやさぐれかたをしたくなりました。
日本酒でも焼酎でもカップ酒でも発泡酒でも、一気にかっくらって気持ち悪くなってマーライオンみたいにもどしてぐったりと死んだように寝る、そんなふうにやさぐれるのに、つまらないくさりかたをするのに相応しい酒はいくらでもありそうなものを、結局女子っぽくて違和感のない、元が取れそうなアルコール分3%とかいうかわいらしいものを選ぶところがほんっとにだせーな、と思いながらべそべそ泣いていました。ちなみに初めて1缶まるまる空けました。空けられないんです普段は。半分くらい飲んだところでもう動悸してたし顔も真っ赤だったけど。ほろよいきねんび。それでも酔えもしなければ吐きもしなかった。だっせ。それで安心してるところが何よりだせえ。


それ以降ちょっと精神が安定しておりません。


わたしだってなれるもんなら聖人君子になりたかったです。誰のことも愛したいし誰からも愛されたかったです。だけどそんなん逆立ちしたって出来ないから。

辛くなったとき、理不尽なことがあったとき、自分を責めて、何もかも自分が悪いんだと思い込んでいた時期がありました。その頃は他人と関わるのが怖くてずっと家賃3万6千円のアパートにいました。思い出したように週に1度、月曜日の2時間目だけ大学に行って、帰りにスーパーに行って、あとはずっと何もかもから逃げるように布団がまっ平らに薄くなるまで昼も夜もなくひたすらに寝ていました。何もかもを千切りとって。大学の卒業単位、わたしギリギリなんですよ。ていうか留年してますしね。卒業条件を満たすきわきわの単位しか取ってないし、卒論は落とすし、ほんとに人の形をしたゴミでした。
人が怖くて、名乗ることも、自分を見られることも厭でたまらなくて、逃げて逃げて、だけど取り返しがつかなくなるのも怖かったから大学にはとりあえず行って。就活なんてね、出来なかったです。出来なかったという言い方はきっと逃げなんでしょうね。しなかったです。今も自分の名前はあんまり言いたくありませんし、耐えられる気が全くしなくて、スーツを着るのが怖くて、他人の目に映るのが本当に本当に嫌で。

助けてくれたのがね、7期のcali≠gariだったんですよ。夜中に泣きながら徘徊した期間は決して長くはなかったんですけど。
転機になったcali≠gariのワンマンがね、野音で。しかもA席のね、上手の4列目だったんですよ。衝撃でしたよね。
高校のときからずっと好きだった曲を、身も世もなく焦がれた歌詞を書く人が目の前にいて、ギターを弾いている。舞台上で歌っている。話している。あの人が生きている。現実なんでしょうかこれは。しかも天気は計らいかのように雨、それはもうめちゃくちゃ泣きましたよね。身動きひとつ取れないほど、見ていたかった。今思い出してもちょっと泣けます。
転がり落ちるように夢中になって、生きているその人を見たくて、初めて赤坂BLITZってライブハウスに入って。友達に「靴はどうするの?荷物は?小さいバッグあったほうがいいの?詰まってきても変に抵抗とかしないほうがいいんだよね?」とかうっとうしいくらい聞いて、ドリンクチケットの引き換えで案の定戸惑って、暗転してすぐの押しで人でもみくちゃになって、ギュウギュウで呼吸はつらいしメンバーはなんかすごい近いし、わけわかんないけど好きな曲ばっかで楽しくて楽しくて、楽しくて、怖いくらいに切なくて、ああもう一度見たいまじもっかいみてえってどんどんハマってって。
ひ弱なオタクなので怖かったですよ、箱に集まる人たちは。みんなかわいくてオシャレだから余計に怖かった。わたしなんかが来ちゃ駄目なんじゃって多分思ってた。だけどね、箱の中ではね、みんな笑ってて。泣いてて。みんな同じで。自分が生きている今に平行して、こんなに幸せな世界があるんだなあって大層感動したことを覚えてます。ほんとに大好きで楽しくて、何分とんでもなく圧倒的だったから、目に入る景色と耳に入る音だけがわたしの全てになって、自分の存在も体の感覚も、劣等感さえも、全部どっかへ飛んでいってしまった。世界がひっくり返った。わたしはわたしを無くすことが出来る。矛盾しているかのように見えて、それはそれは強烈な自己肯定でした。

少しずつ外へ出ることが平気になって、ライブハウスで出会った人たちと仲良くさせてもらえて、みんな多分それぞれに傷があって、そうしてやっと、人が少しだけ怖くなくなって。それを繰り返して今に至るんです。自分が社会人として働いていること、初めて会う人と普通に話が出来ること、自分を責めるのではなく怒りとして他人に憤っていること。是非は別としても、全部ふとした瞬間に不思議だと思い返します。よくやれてるな。あの頃はあんなだったのに。
雪が冬にしか降らないように、慢性の、性質の問題ではなく時期的な、一時的なものだったのかも知れないんですけど、やっぱり出来れば働きたくないし、何一つ共通点も見出だせない見ず知らずの人間となんて話したくないし、泣くより怒るのを選ぶのももう体力がないからという奇妙な理由だし、お前なんかかろうじて人の形しただけのゴミのくせにってまだ思います。癖なんでしょうね。

だからね、ほんとは上手くなんてやれないんです。
えへ。今日職場の人と衝突しました。結構まずい感じに。謝ったけど、「一応謝ったんだからもういいでしょ」で一方的にスッキリして無理矢理終わらせるのが能動受動共に好きではないので、自己嫌悪とやるせなさと何でわたしが謝んなきゃいけねんだよ腹立つなって怒りで涙出ました。あは。
一体いつまで人間関係上手くやれないのを繰り返すつもりなんでしょうね。もういいでしょあんだけ失敗してるんだし。学ばないなんてね、獸以下ですよ。獸に失礼ですよ。

「選んでくれてありがとう」という言葉がどれだけのものなのか、わたしには想像でしかないけれど、とても真摯で、とても愛に溢れた言葉だと思うんです。そういうことを恥ずかしげもなく、外連味もなく、惜しげもなくさらっと言えてしまうところがね、もう好きで。今まで言われたことなかったし、すごく嬉しくて。そういうとこなんだよなー!って、握り拳つくって破顔してしまう。
なのにそれをわたしが受け取ってしまっていいものかが分かっていないんです。
や、くだらない逡巡だとは思うんですよ。人からしたらどうでもいいことなのも分かってるし、何なら他の人が同じように思ってたら「いいんだよ受け取っとけば!むしろ受け取れよ!」って言えるんですけど、自分のことになるとね、なかなかね。
自意識を吹き飛ばすほどの盲目さはきっと一生に一度のものなんでしょう。だけどわたしは何度でもあれが欲しいの。自分が自分でなくなって、空間に思想ごと融け出して同化して、何もかも、自分の欠片のいっこたりとも、なーんにも無くなる瞬間が、喉から手が出るほど欲しくて。
ねえやっぱり、7期cali≠gariからしかもらえないものだったのかなあれは。ううんでもそんなことないと思っているからわたしはまた次のチケットを取るんだよ。それに自分を無くせなくても幸せをもらえることは絶対だし。悩んでもやっぱり行きたいし、今のMERRYが見たいし、どんなに失敗しても、それでも、死ななかったし、生きてるし。

上手くなんてやれないよ。それにもしかしたらもうどちらに進んでももうだめなのかも知れないけど、どこにも行けないのかも知れないけれど、ていうかそもそも何で自分の感情がこんな状態になってるのか我ながらよく分かんないし現実とバンドがえらいごっちゃになってるのもおや?頭がおかしいのかな?ってなってるんですけど、情緒不安定って言葉も使い飽きたし、自律神経乱れてんのかなPMSかなって分析もちょっと煩わしいし、なんか、とりあえず全部雪のせいにしとくとして、とりとめもなく書きたくなったので書きました。

ヒィ梟ほんと好きです。こういうときに効力を発揮するんです。聴くとなんだか少しだけ勇気をもらえる気がして好きなんです。歩くための支えとしての杖ではなく、走り出すためのバネとして。勇気をもらうなんて、数年前のわたしが聞いたらきっと「こいつどうかしちゃったんだろう」と思うような気もしますけどね。それでも今はほんの少しだけ自分の中にある勇気の種に水を与えてもらえるような気分になるんだよ。ありがと。