疾走

長文ポエマー密室バンギャル

わたしの季節は冬だから







メンタルの調子がよくねえ
体調がずっと低迷しているのと同じ感じ。もう8月19日なの?夏らしいこと何一つしてない、レイトの映画も汗だくのライブも線香花火も何もしてない、断捨離も進まない、仕事は相変わらず単調で面白くない、新譜は出ない、ライブがあっても休みに外に出れない、Twitterのタイムラインは花火大会の写真にBBQの写真にお洒落なカフェの写真にのどかな田舎の写真にイベントの写真、なんかもう自分で作ったTLすら敵なの?と思ってTwitterを閉じてはみるけど画面のオフと同時に虚無。
30年近く生きていれば(もう30年近くも生きてんの?心臓の無駄使いでは?)対策はなんとなく知っているよ。風呂に浸かる、部屋の掃除をする、洗濯物を畳む、財布の中を整理する、運動する散歩する、好きな音楽を聴く、漫画を読む、縫い物でもする、いっそ晩酌でもすればいい。何でも出来る。何でもすればいい。生産的と意識さえされないような生産的なことをひとつでもすればなんとなく一呼吸つける。分かってんだけどさ。
どこまでいつまでこんなものが続くんだろう。いつまでわたしでいなきゃいけないんだろう。どこまで生きていなきゃいけないんだろう。別に死ぬための行動なんかしないけど、そんな度胸いっこもないけど、ひたすらに虚しくて無性に苛々している。何に対してもすごく苛々して、あの頃みたいに空っぽならまだ良かったのかも知れない。今は空っぽじゃない。家賃の振込が待っているし母といぬと住んでいるし車は洗わなきゃいけないしチケット代も払わなくちゃいけないし明日は仕事だし今日も早く寝て明日に備えなくちゃいけない。それをいつまでやんなきゃいけないのっつってんだよ。他人が羨ましくてしょうがない、いやもう他人さえ羨ましくない。他人も自分ももう要らない。すごく要らない。
未だに待っている。この期に及んで待っている。「稲妻に打たれるような啓示」。絶対的な運命。湧き上がるような感動。泣くほどの好き。もう無いけどね、多分。縋るものが無くなったら死ぬんだと思ってた。自分のことを。好きなものが無くなったらもういいやって。それが理想だった頃があった。いや全然生きてっし。まだこうやってくだらねえこと書いてっし。好きじゃなくなったバンドだって全然聴いてっし。曲は相変わらず良いし。それがまた厭なんだ。人生はクソ。何故ならわたしがクソだから。
早く冬が来ないかなあ。みんな家にこもってるときにモゾモゾ徘徊するおぞましい虫になりたい。
仕事辞めてえなあ。辞めてどうすることも無いけど。
積んでたCDでも開封しようかな。講談のCD。落語のCDを買う前に講談のCDを買ってしまった。音楽なら大体がその日中には聴けるのに、もう数週間置きっぱになってしまっている。申し訳ないな。宇宙はきっとこの円盤の中にも広がっているんだろう。風呂に浸かろう。部屋の掃除をしよう。洗濯物を畳もう。財布の中を整理しよう。運動しよう散歩しよう。好きな音楽を聴こう。漫画を読もう。縫い物でもしよう。いっそ晩酌もしよう。わたしがどんなにクソだとしても、わたしがわたしをやめることが出来ないのは嫌というほど知っている。