疾走

長文ポエマー密室バンギャル

許せ本日







新年早々好きキャラが死にかけて推し変し2週間そのまま放っとかれる悪夢なうですが明日は!大学時代の友達に!会うぞ!ヒィ~~~~タノシミーーーーーーーー
大学時代の友達って一緒にいるだけでテンション上がってきて何でもないことで爆笑してしまうのでほんと元気出るのよな…
多分1年ぶり?とかなのでいろいろ話してくる~~!!





以下、
水を差したらごめんなさいね。




やっと慣れた新しい部署(新しいったってもう4か月目だけど)での今日の1日はやたら短く感じた。出勤してすぐ外出して、途中でミーティングもあったりしたから実際に作業時間が短かったのもあるとは思う。休憩時間にアクセス解析を見たら数年前の本八幡の記事がよく見られていて、ああそういえば初日なのかと思った。
わたしが何もかもやめようと思い至った、あの日。

ああここまで、随分遠くまで来てしまった気がする。
最近なんだか嫌なことや恥をかいたことばかり思い出して、でももう全部終わったことだから、と頭を振ってそれらを削ぎ落としている。そういうことが出来るようになった。

読まれていた記事のふたつ前の、新幹線の座席にいつもよりも体重を預けながら酸欠気味の頭で殴り書いた記事を読み返してみた。読み返すことさえもなんだか呼吸が苦しくなったけれど、それでも書いておいてよかったと思った。
そうだった。あのとき泣きながら帰ったんだよ。歩きながら涙が出て来て止まらなかった。マスクの内側がびたびたになるのが気持ち悪くて、人の目を気にしながらどうすることも出来なくて、駅までの道をひたすら歩く。ただ自分の靴の踵の鳴る音を聴き続けていた。その音は今も頭の中を響く。奇しくも誕生日、秋の夕暮れの、寒くはない冷たさの中だった。わたしはその日、25歳になっていた。
読んでいて思った。ちゃんと感じて、ちゃんと想って、ちゃんと吐き出して言葉にして、どうにかこうにか自分の感情を成文化して投げ捨て続けてきたから、今、口を開けたまま明後日の方向を見てボケーッと生きることが出来ているんだ。書いてきたことにお礼を言わなくてはね。

ツイッターのTLは祝日だけあってフォロワーの誰かしらがどこかしらでライブで、それはそれは華やかで賑やかだった。仙台、新木場、本八幡。どこにもいないわたし。わたしはわたしの好きな人の、2番目に目が好きだった。すっぴんだとほやほやぽやぽやしてる癖に、化粧をしてステージに立つと化け物みたいな目になるところ。人にして人ではない何かに成り果すところ。多分彼は、自分の目の光というものを完全にコントロール出来ていたのだと思う。「助けて」と口では叫びながら、この世の全てを憎んでいるようなあの鬼気迫る目。外側を埋める化粧だけではあそこまで変われない。内側から劈く何かがなくては、化け物みたいな目にはならない。

好きだったな。
何回そんなことを思えばいいんだろう。何回思い出して泣きそうになればいいんだろう。あのころが戻ってこないのは、わたしがそこに戻っていけないのは、嫌というほど理解をしているはずなのに。
そう、わたしがそこに戻っていけないんだよ。他ならぬわたしがね。チケットを買えば簡単に辿り着ける筈なのに、わたしはもうそこにはいけない。だって遠くまで来たんだから。
降りたわたしに何が言えるか。降りたわたしの、どんな言葉が誰に届くというのか。届かない方がいいくらいだ。無駄なんだよ。全部意味の無いことだ。分かってる。もう言わないって、何度決めても自分でそれを破るよね、わたしってやつは。

だけど羨ましいのはどうにも出来ない。もう一度あの目が見たい。それに射抜かれていたわたしで見たい。あの鮮やかさのまま好きでいれたらどんなに幸せだっただろうか。それが出来なかった自分を責めたくなるけれど、そんなもの随分出来の悪い自愛だね。今も変わってないですか。今もまだ、あの目で客席を見下して殺してますか。そうだと良い。「元気でいてくれれば」それも紛れもなく本心だけど、同時にいいこぶってもいる。物分かりが良さそうでしょう。本音を言えば、それだけではまだやるせない。もっとだ。もっともっと、純度の高い、狂気的なもの。わたしが焦がれたあの人が、わたしが愛したあの舞台上の人間ならざる人間が、今もまだ、誰をも寄せ付けないとんでもない化け物であり続けてくれることを、あの日からずっと願っている。