「冷たい雨」

 




 
今週のお題「わたしの好きな歌」

冷たい雨 / cali≠gari (作詞作曲:桜井青)


暗いアパートに佇み気怠い僕は外を探し、
 やがて鉛色の空とその結果を見つめてたんだ。
「あぁ、何の変哲もないただの冷たい雨ですか?」
 あまり正しいとは言えない答えが僕の口を割り────。

暗いアパートを背にして気怠い僕は外を歩き、
 やがて鉛色の空とその結果を認めてたんだ。
「あぁ、心がかじかむほどこれは冷たい雨ですね。」
 まるで散歩する死人になりかけた僕は、
少しだけ知りたいと思って空を見上げてみた。

あたり前な雨の日の風景が僕に何か伝えてる。
 「僕が僕をやめること、それが一番いけないことだよ。」と。
雁字搦めな心の壁が何処かで壊れる音がする。
 新しい明日はきっと僕に優しい顔をするだろう。
冷たい雨のあとで────。

嬉しいことや悲しいこと。
 数え切れないたくさんのこと。
明日の思い出作るから、
 僕は僕になるよ。

あたり前な雨の日の風景が僕に何か伝えてる。
 「僕が僕をやめること、それが一番いけないことだよ。」と。
雁字搦めな心の壁が何処かで壊れる音がする。
 新しい明日はきっと僕に優しい顔をするだろう。

冷たい雨のあとで────。


わたしはこの10年、厳密に言えば11年ですね、cali≠gariというバンドと、そのメインコンポーザーの一人である桜井青というギタリストが好きでした。

このブログでも書きましたし、友人に訊かれたときにも「cali≠gariで1番好きな曲は『さよなら、スターダスト』だ」と言ってきました。「好き」という言葉の意味合いをストレートに取ればそれは全く間違いではありません。
ただ、cali≠gariというバンドに出逢って以来、最も特別だったのは常にこの曲でした。
それでも何故この「冷たい雨」という曲を好きな曲に挙げなかったかと言うと、作詞作曲をした桜井青さんが「自分の葬式でこの曲を流してほしい」と仰っていたからです。読み漁っていたインタビューの中でも最も印象深い言葉のひとつでした。つまり、「青さん本人がそう言うのであればわたしが挙げるまでもないか」といった気持ちや、「わたしが青さんのことを好きだと思う限りは必ずこの曲がついてくる」という解釈でいたので敢えて言わなくてもいいかという気持ちがあったわけです。
この曲は「わたしのもの」ではなく、「桜井青のもの」でした。そこに踏み込んで好きだと言えないほどに、特別でした。それは曲だけではなくその人のことも。

初めて聴いたときのことは正直覚えておりません。ただ、この曲が唯一無二になった瞬間のことはよく覚えています。それまでも大事に大事に聴いていましたが、2011年の6月18日の日比谷野外大音楽堂でのライブ、上手の4列目の席にて、霧になったり雨になったりする中で焦がれて焦がれて仕方がない人が目の前でこの曲を弾くのを見ました。
あの日以来、この曲はわたしの人生の1曲になりました。

生きていれば、全てを投げ出してしまいたくなるような、何もかもをやめてしまいたくなるような出来事があります。前を向けなくなる日が、止まったままもう二度と歩き出せなくなるんじゃないかと思う日があります。
ひとりで鬱いで、他人の幸せが苦しく、励まされるほど追い詰められる、誰の声も聞きたくない日があります。
そういうときにこの曲を聴いています。
この記事を読んで下さる人にも、立ち止まってしまったときには是非この曲を聴いてみてもらいたいです。


雨粒が傘をたたく音、
湿気が肌にまとわりつく感触、
濡れた砂利の匂い、
水溜まりに映る揺れる景色。
空虚な呼吸。
瞼が下りるスローモーション。

歌詞の中の〈少しだけ知りたいと思って〉という部分。曲を聴いてもらえれば分かると思うのですが、ここが「少しだけ『死にたい』と思って」というふうに聞こえるのです。
この曲の中の人間は涙し、諦め、投げ出して、そうして一度静かに死ぬのだと思っています。わたしの代わりに。
そしてもう一度生まれ直すのだと思うんです。雲の行方を見届け、雨に降られ、その中を歩み、空を見上げ、ひとり自分自身と向き合い、新しい明日を祈る。

嬉しいことや悲しいこと。
 数え切れないたくさんのこと。
明日の思い出作るから、
 僕は僕になるよ。

これがこの曲で1番好きな部分です。
小さい頃から思春期、そして青年期にかけて、いつか、大人になったら、自分ではない他人になりたいと思っていました。すれ違う人を羨んでは、自らを殺してしまいたくなっていました。子どもはいいな。大人はいいな。かわいくていいな。かっこよくていいな。他人でいいな。他人がいいな。自分なんてもううんざりだな、死にたいな。
自分のことを好きになれることはないと思っていました。

〈明日の思い出作るから〉というのはとても巧みで、未来を過去にしていくこと、それは即ち生きるということだと思います。「死のうと思うのはここでやめよう」「そしてここから生きていこう」、この一言からはそんな読みが出来るのではないでしょうか。だけどそれは決して仰々しい旗幟や血気といった熱を孕んだ力ではなく、何かもっと諦めの先に辿り着いたもののような、もっと寂しいもののような、弱々しくも折れないだけの芯を持ったしなやかな意志なのだとわたしは思います。
死のうと思うのはやめるから、〈僕は僕になるよ〉。美しいという言葉が下品に成り下がるのではと感じるほどに、悲壮で、儚い、遠い言葉。 僕が僕でなくなることは、きっと僕が死ぬことなんでしょう。明日の思い出を作るのも、僕が僕になることも、共に「生きる」という意味を含む。

自分以外の他人になりたいと思っていたわたしにとって、〈僕は僕になる〉という言葉は、生きていくために何よりも欲しかった「強さ」でした。





















あなたの曲だとずっと思ってきましたが、再録をするのであればこれは金輪際わたしの曲です。そう言い切ることにします。

わたしが人生で最も入れ込んだバンドであるcali≠gariの中で、そしてわたしが出逢ってきた曲の中で1番好きな曲は「冷たい雨」です。


立ち止まっても、諦めても苦しくても、自分のことを好きにはなれなくても、冷たい雨が降ったとしても、それでも人生は続き、生きていくより他はない。
然様なら、わたしはわたしになることにするよ。



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